「近代、アメリカ、日本 三つの未完のプロジェクト」をMMエッセイズ2に掲載しました。
以前MMエッセイズにその書評を掲載したリチャード・ローティの『アメリカ 未完のプロジェクト』の原題は、Achieving Our Country (私たちの国を完成する)です。それが邦題のようになってしまったのは、ローティ自身からユルゲン・ハーバーマスの『近代 未完のプロジェクト』(三島憲一訳、岩波現代文庫、2000年 原書は Die Moderne-ein unvollendetes Projekt , 1981)を想起するような題にするようにとの助言があったからだと訳者あとがきに書かれていました。ローティはどうやら、ハーバーマスが近代を未完のプロジェクトととらえたのと同様に、アメリカを未完のプロジェクトととらえ得ると考えたようです。また、ローティがアメリカ再生に関して抱いている考えと似たような枠組みを、サングラハ教育・心理研究所の岡野守也主幹が日本再生に関して抱いている考えが持っていると私は『アメリカ 未完のプロジェクト』の書評中で述べましたが、今では主幹の考えは「日本 未完のプロジェクト」と呼んでもいいのではなかろうかとさえ思っています。
そういうわけで、ハーバーマス、ローティ、岡野主幹の各氏によって、近代、アメリカ、日本のそれぞれが、未完のプロジェクトと呼ぶにふさわしい面を持つと主張されていると私は考えているのです。そこで、それらの主張の要点を一度まとめておきたいと思い書いたエッセイがこのたびMMエッセイズ2に掲載しました「近代、アメリカ、日本 三つの未完のプロジェクト」です。