ウィルバー・コスモロジーの批判的考察

増田満

はじめに

 私が『進化の構造』(ケン・ウィルバー、松永太郎訳、春秋社、1998)で展開されている、四象限にわたるウィルバー・コスモロジーに出会ったのは、2000年ごろのことですが、その理解を試みる過程で、魅了されつつも様々な疑問を持ったのも事実です。ただ初めのうちは、毎年のように出版される新しい本の中で、ウィルバーがその統合的な理論を変化展開させ続けていたこともあり、抱いた疑問も結局は解消されるに違いないと考えていました。ところが、新たにウィルバーが主張する様々なことの中には、それ以前の彼の主張との首尾一貫性の欠如を感じさせるものが少なからずあり、すでに抱いていた疑問が解消されるどころか、理論そのものの基本的整合性にさえ疑問を持つようになりました。そのため近頃では、ウィルバー思想に対する批判的意見への興味を強めるようになっていました。
ウィルバーの作品は世界中に多くの読者を持ちますから、当然のことながら、私同様に疑問を抱いた人々が存在するはずです。実際少し調べますと、ウィルバー思想を批判した書籍の存在や、批判的エッセイを多く含むサイトの存在を知ることができました。それらにおける批判には、私が抱いているような疑問だけでなく、私が気づきもしなかったことまで検討しているものがあります。そこで、それら批判のいくつかを取り上げて吟味し、改めて私自身のウィルバー・コスモロジーに対する評価を確定してみたいと思いました。また、そのことが、ウィルバー思想に興味を持たれている方々に幾ばくかの参考になるかもしれないとも考えました。これがこのエッセイのもとになったものを、岡野守也氏が主幹を務められるサングラハ教育・心理研究所の会報、『サングラハ』に連載させていただいた動機です(2013年3月第128号から2015年3月第140号まで)。当時連載を勧めてくださった岡野守也氏、毎回校正で多大な手間をおかけした編集長三谷真介氏には、ここで改めて感謝申し上げます。

2018年1月12日 追記
orienting generalization というウィルバーの用語がありますが、訳本では「志向的一般化」と訳されています。それを私は、その本来意味するところから「指向的一般論」と訳した方がよいと考えていました。しかし、「意識や思考がある方向に向かう」場合には、「指向」よりも「志向」を使用するのが一般的だという指摘がありました。確かにそうだと思いますので、今後機会があるごとにこのHPでは書き直しをしていくつもりです。