第11章 ウィルバー5――方法論的多元主義

ゾーンとは、そして統合的な方法論的多元主義とは

 最初にお断りしておきますが、この章では様々な研究方法が登場し、私には何となくこのようなものであろうという程度の理解しかできないものも大変多く、いつにも増して文献から引用して書かざるを得ず、読者の皆様に対しはなはだ無責任な書面になってしまっています。ただ、読者の皆様がご自分で統合的多元主義について考察される際に、何らかの手がかりになりはしないかと考え、そして後に私自身が再考する際のメモ代わりにしようとも考え、あえてこのような形ででも残しておくことにしました。そういうことですので、書き手に責任感を持つことを強く望まれる方は、読んでしまうとお腹立ちになられる可能性が大だと思いますので、この章はなかったと思い是非飛ばしてください。
さて、第10章で、修正された構造主義について、『インテグラル・スピリチュアリティ』の一節を引用しましたが、そのなかにゾーンという言葉がでてきました。今回はこのゾーンと、それと関連した統合的な方法論的多元主義( Integral Methodological Pluralism )について述べていきたいと思います。
全ての有感の存在( All sentient beings )は、四つの象限を持つホロンであるというとき、それぞれの象限は、主観的(内面的)であるか客観的(外面的)であるか、そして個的であるか集合的であるかというように、境界づけられることで現れます。それは、各象限は、境界づけをもたらすホロンの四つの視点、すなわち主観的(内面的・個的)、間主観的(内面的・集合的)、客観的(外面的・個的)、間客観的(外面的・集合的)視点を前提にしているということです。そうして、これらの視点からホロンの経験世界が開かれ、各象限の現象の領域になるわけです(図11-1)。

図11-1 ホロンの4象限

前回、認識者の認識能力のレベルに対応して、異なる世界空間が開かれるということも述べました。ある認識者の4象限にわたる経験世界は、その世界空間に現れるはずですから、その際に世界空間も4つの領域(4象限)に差異化されることになります。
ところで、私達が物理的現象の散りばめられた物理的空間を見渡す時、そこには、見渡せる限界を示す地平があります。同様にウィルバーは、世界空間には認識能力のレベルごとに現れる現象の可能性に限界があるとします。そしてその限界を、物理的空間の限界になぞらえて地平と呼ぶことにしています。そうしますと、先に述べたように各レベルの世界空間は四つの象限に差異化されていますから(分離はしていません)、その地平も4つに差異化され、レベルと象限によって指定される地平があらわれることになります。例えば具体的操作レベルでの個的内面的象限での地平、あるいは形式的操作レベルでの集合的外面的象限での地平という具合です。すぐ触れることになりますが、今回のテーマになっていますゾーンという概念は、この地平という考えをもとに創られています。
ところで、4象限にわたるあるホロンの経験世界を探究しようとする時、ウィルバーは、探究者(一般的には人間です)が基本的に二つの視点をとれるとします。「インテグラル・スピリチュアリティ」( p.54 )には次のように書かれています。

4象限のホロンないし事象は、それぞれ内側、外側から見ることができる。すると、ここに8つの基本的な視点が生まれることになる。4象限のホロンを内側と外側から見た視点である。

また、生態学と環境に関する様々な見解を、ウィルバーの思想を適用して、包括的な枠組みの中で整理し統合した著作である Integral Ecology ( Sean Esbjŏrn-Hargens, PhD, and Michael E. Zimmerman, PhD, Integral Books, 2009, p.64)には次のように書かれています。

……ウィルバーは、宇宙はホロンからできているというよりは、ホロンに属する視点からできていると結論を下した。視点に対するウィルバーの新たな強調は、各象限によって提示されている視点は、他の視点から研究され得ると結論させしめた。象限の各々は、その象限内で、内側または外側から見られ得るのだ。従って、象限に関連して、少なくとも8つの自然な(あるいは固有の)視点があるのだ。

前章で述べましたように、コスモスに現れる全ての現象は、四象限という最も基本的な境界づけをもたらす四つの視点を前提としています。その現象を主体としてのホロンが探究しようとするとき、ウィルバーやIntegral Ecologyの著者たちによると、さらに内側か外側かのどちらかの視点を新たに重ねることになるというのです。そうしますと、この視点の重なりには、象限に関する4種類に内側と外側に関する2種類をかけて、4×2=8種類があることになります。それらを列挙しますと次のようになります。

[内側]×[主観(内面的・個的)]  [外側]×[主観(内面的・個的)]
[内側]×[客観(外面的・個的)]  [外側]×[客観(外面的・個的)]
[内側]×[間主観(内面的・集合的)]  [外側]×[間主観(内面的・集合的)]
[内側]×[間客観(外面的・集合的)]  [外側]×[間客観(外面的・集合的)]

これら、視点の重なりの様子は、図11-2のように図示することもできます。

図11-2 8つの視点

この二重構造でできた8つの視点から、探究者にとっての経験世界が、現象をともなって新たに広がることになります。そして、それらも、ホロンの4つの視点から広がった経験領域と同様に、地平( Horizon )を持つでしょう。ウィルバーはこの8つの視点から広がる経験世界を、地平を伴っていることをはっきりさせるためだと思いますが、ホライ-ゾーン( Hori-zone)あるいは簡略してゾーン( Zone )と呼ぶことにしています。視点が8種類ですから、そこから広がるゾーンも8種類になります。そのありさまは、図11-3のように番号を付加して図示されたりします。

図11-3 8つのゾーン

また、各象限を探究者が内側から見る、あるいは外側から見るというとき、それは探究の方法に言及していると捉えることができます。そうしますと、異なる視点には、それぞれにふさわしい異なる方法論が伴うことになるでしょう。こうして、ホロンを探究する際の方法論は、視点の数と同じに、基本的に8種類にわけることができるわけです。その8種類を、具体例を示しながら図示したものが図11-4です。

図11-4 8つの基本的方法論

そうしますと、4象限を持つホロン(有感の存在)を探究しようと思うなら、探究者は8つの視点から、8つの方法論を使って調べ、その結果を統合しなければなりません。このような考え方を、ウィルバーは統合的な方法論的多元主義( Integral Methodological Pluralism )と呼んでいます。
以上、ゾーンと統合的な方法論的多元主義について形式論的に述べてきましたが、その具体的な有様について、以下に述べていきたいと思います。

四象限におけるホロンの経験的世界(領域)

 まずは、方法論的多元主義によって探究される四象限の領域について確認してみたいと思います。
主観的な領域は、個(人である場合もそうでない場合もあります)の内面、直接経験の領域です。それは身体的、情動的、認知的、スピリチュアル的な、諸主観的体験を含みます。 Integral Ecology, p.184 には、絶壁を登るときに人が自身の身体に持つ感じ、カエルが自分が住んでいる池の上の電線からの電磁気的放電を経験する仕方、木が酸性雨を経験する仕方などが例として挙げられています。
間主観的な領域は、集合のメンバーが共有する内面の領域です。共有されている道徳、価値観、シンボル体系、意味、感情など、大きくは集団的世界観、文化などと呼ばれる、メンバー間の相互理解の基礎になるものがこの領域には含まれます。例えば、日本の文化圏に属しているメンバーには、当然わかっているだろうというような共通理解があります(国籍にかかわらず、日本文化に浸って生活した経験のある人なら、大体の場合メンバーと言えます)。以前にも書きましたが、富士山への想いとか、人の家にまねかれた時に「粗品ですが」と謙遜しながらお土産を渡すとか、さまざまな独特の共通理解があります。それらが、この間主観的な領域に含まれるものです。Integral Ecology p.184には、オスのピュ―マがさかりの状態のメスからの呼び声を理解する仕方、特定の歴史的期間に特定の人間のコミュニティが自然界に関係する仕方などが挙げられています。
客観的な領域は、個の身体や行動の領域です。皮膚、細胞膜、器官、組織などの個の物理的領域と境界、そして成長、消化、飛行、睡眠など、様々な行動が含まれます。
間客観的な領域は、身体や行動的側面で指示される個をメンバーとし、それらの機能的相互作用を含む全体です。人間の場合、それは経済として捉えられたり、共同体として捉えられたり、国家として捉えられたりします。生物的レベルでは、生態系が代表例になります。個は、集合的世界なくしては存在できません。ウィルバーは、この集合の内面的な側面を文化と呼び、いま取り上げています外面的な方を社会と通常呼んでいます。Integral Ecology p.185には、食物連鎖、つがいの儀礼、移動のパターンなどの機能的相互作用、そして、様々な相互作用の影響による汚染、気候変動などが挙げられています。
ウィルバー4を学ぶことで、特に人間の4象限領域については、ある程度のイメージを持たれていると思いますが、それをさらに明確にするためにも、人間とは別のレベルの存在、カエルの4象限にわたる経験世界について、これもIntegral Ecology, pp.190~193の該当個所を訳してみたいと思います。文中の経験の領域は主観的領域、文化の領域は間主観的領域、行動の領域は客観的領域、そしてシステムの領域は間客観的領域のことです。

・経験の領域:カエルの現象学的世界
経験の領域はカエルの現象学的経験――その主観性――を含む。この領域は、カエルの一人称の気づき――熱いまたは冷たい水の身体的経験、物理的痛み、そして衝動――を表示する。カエルはこれらの経験に対して自覚的な関係は持たないだろうが、しかしカエルは、たとえ相対的に素朴であったとしても、様々な経験を支える内面を持っている。
・文化の領域:カエルの文化的世界
文化の領域は、カエルと、他のカエルや蛇や鳥や昆虫やネズミやキツネのような他の動物たちとのコミュニケーション、そして意味の交換を含む。有機体がコミュニケーションをとり、互いのシグナルを解釈する時、それらは「記号論的ニッチ( semiotic niche)」あるいは意味の間主観的空間を創っている。
カエルは、全ての有感の存在と同様に、特異な記号論的ニッチを持っていて、その深度は他の有感の諸存在における意味の深度と織り合わさったり、あるいは衝突したりする。
・行動の領域:カエルの感覚的世界
行動の領域は、五感からの感覚データ、フェロモン、視覚的刺激、聴覚信号、物理的感覚、味覚などを含む。この領域はまた、どのようにカエルが環境を認知し、そして結果として、構造的に環境とつながるかも含む。
・システムの領域:カエルの社会的世界
この領域は、カエルが知覚しそして参加している規範と規則の様々な(生態学的、進化論的、社会的、そして交流的)システムを含む。カエルは無自覚的に、全ての種類の統語論的( syntactical)要素に参加している。カエル間の物理的シニフィアンの交換と、それらの環境が、カエルの生態学的ニッチの重要な部分を構成している。それに加えて、生態学的圧力や進化論的ダイナミクスによって特徴づけられる、カエルが従う様々な社会的構造と規制がある。これらの様々なシステムがカエルの社会的世界を作り上げる。

これらを簡単にまとめますと図11-5のようになります。

図11-5 カエルの象限

4つの象限について簡単に見てきましたが、これらの経験世界を探究する際に内側と外側から見ることができるということの意味について次に考えてみます。

内側と外側とは

 Integral Ecology, p.64には、内側と外側から見た具体例として、左上象限について次のように書かれています。なお、文中の一人称とは、「私」という代名詞を使えるような主観的な立場、三人称とは「彼」、「彼女」、「それ」という代名詞を使えるような客観的立場を表わしています。

左上象限で表わされている、一人称の体験的視点について考えてみよう。一人称の人間の視点は、「私」が体験するものの直接性である:私の感情(feeling)、記憶、思考などなどで、それらを私はじっくり吟味することができる。もし私が私の一人称の体験の構造的特徴を理解したいなら、私はこれら同じ思考と感情を三人称的な視点から検討することができる(私は発達論的なモデルを研究することができる)。私の内面は、ウィルバーが「感情の見た目( the look of a feeling)」と呼ぶ外面を示す。私は私の体験の構造――多くのライン(認識、道徳、美学的、性-心理的、間人格的)における私の発達論的レベルを含む――を評価することができる。
言い換えると、現象学は直接的な一人称の体験を研究する。構造主義は、個人の直接的な体験の、三人称の構造とパターンを研究する。

例えば、禅は現象学の範疇に入れられるわけで、ひたすら内面に向き合い続けます。内面の現象(すでに主観的視点に基づいています)をそのまま詳細に見続ける(さらに探究者の主観的視点を重ねる)のですが、このような視点の採り方が内側から見るということです。内側から見れば、直接経験の現象がさらに詳細に見えてくるわけです。それに対して、私の内面での道徳観の変遷などを知りたいと思った場合、いくら内側から道徳的な判断を詳細に見つめ続けても明らかになってはきません。私の道徳的な判断を(私の主観的視点に基づいています)、私の成長に伴って継続的に記録する(探究者の客観的な視点を重ねます)か、あるいは、各年代の集団から抽出したサンプルの道徳的な反応を(被験者各人の主観的視点に基づいています)統計的に調査する(探究者の客観的な視点を重ねます)かして、それらのデータを考察することで、初めて自己中心的、集団中心的、世界中心的と発達する道徳の構造・パターンが見出されることになります。そのとき、私は内面で生じる道徳的判断にひたすら向き合うのではなく、私自身や、他者のそのような判断をデータ化して、客観的に構造を把握していかなければならないのです。これが外側から見るということです。
今述べましたのは、左上象限の場合ですが、その他の象限も含めて、このように言っていいのかもしれません。内側から見るということは、探究されるホロンの視点に再度たって、そのホロンの経験世界を探究するということだと。また、外側から見るということは、探究されるホロンの経験世界を他者の視点にたって探究するということだと。この二種類の視点を、各象限に当てはめることで、八つの視点ができるわけです。そのとき、探究されるホロンが人間ではなく、例えばカエルであれば、人間である探究者が探究されるカエルの経験世界を内側から見る際には、一度人間であることから離れ、カエルの立場に立つということが必要になります。また、自身の経験世界を外側から見る際には、自分であることから一旦離れて自身を見ることが必要です。いずれにしろ、場合によっては、多大な想像力を必要とすることになります。
Kenneth C. Bausch, The Emerging Consensus in Social Systems Theory, Kluwer Academic / Plenum Publishers, 2001に書かれているInformation-about/Information-forという概念の説明を参考にしますと、ウィルバーの内側と外側という概念がさらに解かりやすくなるとも思いますので、関連する部分の一部を訳してみます。

私達の観察と描写は、有機体についての情報[information-about]を創りだす。この種の情報は、有機体が選択を実行する際に自身に告知するのに使う情報[information-for]とは全く異なる。諸有機体は、それらの生きる過程を維持し改善するのに必要とするもののみを知る。それらの知識は思索的ではなく実用的である。人間においてはinformation-forは、物質的存在としての私達を自動的に維持する多様な無意識の行動に対応している。(p.355~356)

information-forをもとになされる選択は、有機体の認知を描写する一つの方法であり、この方法は、マトゥラーナとヴァレーラの行動としての知識の定義、ヴァレーラの定立(enaction)の理論と非常によく似ている。(p.365)

個の個的外面(身体)を内側から探究する認知科学では、探究したい個体の視点をとる必要があり、集合的外面(社会)の内側を探究する社会的オートポイエーシスでは、その社会のメンバーの視点をとる必要があるわけですが、今引用した文章からすると、それはinformation-forを得る視点をもとに、個的あるいは集合的外面を考えることなのだと思われます。そして、外側を探究する通常の客観的な手法である経験主義やシステム理論は、information-aboutを得るための視点で個的あるいは集合的外面を考えることなのだと思われます。
それでは、すでに述べました左上象限のことも含め、8つの方法論について、簡単な概要と使用されるテクニックを、おもに Integral Ecology, pp.251~256に書かれていることを参考に、ゾーンごとにまとめていきたいと思います。特にテクニックに関しては、私の勉強不足のため詳細がはっきりしないものが多いのですが、とりあえず Integral Ecology に挙げられているものをほぼそのまま羅列することにしました。

ゾーン1の方法論とテクニック(個的内面を内側から見る)

 現象学は感じられた質(現象)を、それらが直接的な気づきにおいて生じたときに報告するもので、直接経験の現象を内側から詳細に見るためのゾーン1の方法論です。直接経験をチェスのゲームにたとえますと、実際にプレーしているときに使っている駒や盤の手触りや形や大きさなどを詳細に調べるのが現象学です。プレーをしたときのことを振り返り、そのルールやパターンを見出すのはゾーン2の方で述べます外側から見る方法にあてはまります。
テクニックとしては、自己審問、現象学的探究、感覚的そして/あるいは身体的気づきの実践、視覚化、祈り、内省、内観、日記、芸術制作、詩、心の動き、自叙伝の記述、ジェンドリンのフォーカシング、視点取得、瞑想、ヨガ、太極拳、ヴィジョン・クエスト、夢日記、シャドー・ワーク、そしてマインドフルネスの実践などが、 Integral Ecology には挙げられていました。いずれにしろ、主観的視点における直接経験に、さらに内側の視点を重ねるという手法です。
他者あるいは動物などの内面に現象学を使用するには、もしテレパシーのような能力があれば別ですが、そうでなければ、自らの内面に、探索対象の内面の深度と共通する深度を見出し、そこに想像的に探索対象の内面を創りだして探究せざるをえないと思えます。もし探索対象が哺乳類の場合であれば、情動的レベル以下の深度を私達は共有していますから、それらのレベルにおいて、感情移入などの手法を使い、現象学的に探究できるのではないでしょうか。

ゾーン2の方法論とテクニック(個的内面を外側から見る)

 左上象限(個的内面)の直接的経験を外側から見る方法は構造主義です。外側から見れば、そのパターンが見えてきます。例えば、この人は道徳的判断を自己中心的に行うとか、慣習中心的に行うとか、あるいは合理的に行うとかです。そうして、内面のリアリティの発達論的段階を地図化したりすることさえできるようになります。
テクニックとしては、他者や自分の経験の記録データを取ることが基本になります。 Integral Ecology には、様々な種類の発達のテスト(すなわち、精神測定)、人格類型テスト、自身についての友人・家族・そして同僚へのインタビュー、気づきのパターンを露わにするための日記叙述、文章完成法、メンターあるいは教師から評価を得ること、他者からのフィードバック、心理グラフでの分析、自身のビデオテープを見ること、自身のオーディオテープを聞くこと、スピーチと思考のパターンに注目することなどが挙げられていました。

ゾーン3の方法論とテクニック(集合的内面を内側から見る)

 左下(集合的内面)の領域は、相互理解の領域です。この領域を、内側から見るときには、互いが相互理解するとき、どのように解釈しあっているのかを探究することになりますから、方法論は解釈学です。コミュニケーションにおける、相互理解の基本になっている共有する内面の在り方を見出そうとします。
Integral Ecology には、インタビュー、ロールプレイイング、対話と討論、小グループでのワーク(例えば二人、そして三人)、グループの儀礼と活動、討論のグループ、物語ること、劇のような参加型演示、解釈分析、テクスト分析、集団的内省と視覚化の訓練、集団的内観、様々な参加型方法論、集団面接、信頼構築訓練、グループ・ファシリテーション、非暴力的コミュニケーション、異種間のエンカウンター、愛し合うこと、瞑想と葛藤の解消、即興的演技、ダンス、ジャズ、そして武道などが挙げられていました。

ゾーン4の方法論とテクニック(集合的内面を外側から見る)

 相互理解の領域を外側から見るときには、相互理解のパターンが探究されることになります。方法論としてはエスノメソドロジーが代表的だとされます。ウィルバーの『インテグラル・スピリチュアリティ』(p.227)によれば、エスノメソドロジーは、文化における暗黙の規約、慣習、社会的相互行動の規則を研究するもので、文化人類学者、民族学者の方法論だとされています。
文化横断的に、相互理解のパターンが明らかになれば、そこから、集合的内面のリアリティの発達論的あるいは構造的側面を地図化することも可能になります。それは、直接的経験のパターンから、個人の内面の発達段階が明らかになってくるのと同じです。10章でも述べましたが、個人にしろ、集団にしろ、発達段階が明らかになるときには、修正された構造主義を使っていることになります。 Integral Ecology には、史的生態学と環境人類学における仕事の多くと、自然、身体、そして女性などの概念を比較するエコフェミニストたちが、エスノメソドロジー的方法を使っているとありました。
テクニックとしては、参与観察法の技術、参加型評価、文化的分析の形式、理解的探究(appreciative inquiry)、文化人類学的技術、構造分析の形式、チームにおける自身の役割に関するフィードバック、家族あるいはカップルセラピー、世論調査、コーチングとメンタリング、記号論的コードの分析、そして模擬シナリオの活用などが Integral Ecologyには挙げられていました。

ゾーン5の方法論とテクニック(個的外面を内側から見る)

 右上象限(個的外面)は個の身体や行動の領域です。これを内側から見たとしますと、ある行動をするとき、そのホロンが外部の情報を受け、どのようにそれを処理するかという自己制御的な側面を探究することになります。そのような方法論としてオートポイエーシスがあります。オートポイエーシスは、どのように有機体が三人称の視点を通じて現象を定立するかを説明するヴァレーラとマトゥラーナの生物学的現象学あるいは認知科学です。
例えば、ある下等な有機体が、人間のように三次元的に物理的空間を把握しているのではなく、二次元的に把握しているとするなら、そのような把握による情報を受けて、その有機体が頭部の向け方を決める際の情報処理過程とか、それに伴う神経生理学的事象などが探究の対象になると思います。
オートポイエーシスの技術としては、想像的に、そして科学的に自身を生物学的有機体の視点に投影すること、認知的入力と出力を図式化すること、視覚と知覚のシステムをモデル化すること、有機体のパターン認識能力を特定すること、有機体/環境間の構造カップリングを地図化すること、などが Integral Ecology には挙げられていました。
ゾーン5の成果は、認識者の認知構造を明らかにしたりするわけですが、それはあくまでも外面でのことです。ですから、その構造は、外面的な構築物である、人工知能の作成に応用することができます。例えばカエルに関する認知科学的成果は、カエルレベルでの人工知能の作成に応用することができると考えられます。ただし、それはあくまで有機体の外面の機能を写像しただけですから、内面まで写し取ることは期待できません。

ゾーン6の方法論とテクニック(個的外面を外側から見る)

 個の身体や行動の領域を、外側から見たとしますと、身体や行動の測定可能な面を探究することになります。このときの方法論は経験主義です。経験主義は、データを記録するための感覚、とくに視覚とその延長(顕微鏡と望遠鏡)を信頼しています。
テクニックとしては、測定、文書化、試験、フィールドワーク、観察、三人称的描写と報告、情報を提示するために地図とグラフと統計を使うこと、運動とダイエット、自由回答式のインタビュー、活動や集まりにおける参与観察法の技術、論評的文書化、事例研究の著作と普及、ギャップ分析、医療診断テスト、鑑定、技能確立、技術的/社会的能力の発達、著作の匿名のレビューと世論調査、などが Integral Ecology には挙げられていました。
経験主義では、再現可能性、制御された条件、経験的であること、論理的であること、観察可能性、持続的観察、多元的感覚の使用、高い反応と応答の割合、明確な問い/形式、そして代表的なサンプルといった件に関して妥当であることが特に求められるということです。

ゾーン7の方法論とテクニック(集合的外面を内側から見る)

 右下象限は、メンバーが相互作用する全体(システム)の領域です。それを内側から見ると、システムにおける自己制御的ダイナミクスを探究することになります。方法論としては、社会的オートポイエーシスと呼ばれるものがあります。
社会的オートポイエーシスの技術として、データの送り手と受け手の分析、観察者と多元的な送り手と受け手の視点の説明、ホロン的な地図化、コミュニケーションのネットワークとチャンネルの図式化、異なる現象を記録しそれに反応するシステムを許容するバイナリー言語構造の特定、などが Integral Ecology には挙げられていました。

ゾーン8の方法論とテクニック(集合的外面を外側から見る)

 システム理論は、メンバーが機能的に結びついたシステムにおいて、どのように部分が複雑でダイナミックな全体に適合しているかを考察するものです。人間のレベルであれば政治経済学などの社会科学、動物レベルであれば生態学などに適用されています。
システム理論のテクニックとしては、システム分析的技術、統計分析、マッピング、科学的研究、先立つ研究の資料調査、モニタリングと評価、データ・フローのモデリング、標準化、数学的処理、そしてコンピューター解析などが Integral Ecology には挙げられていました。

動物の場合

 以上、各ゾーンのことを述べてきましたが、動物の1個体の4象限を探究する方法論について、内側と外側を別々に表の形でまとめたものを図6と図7に参考までに提示しておきます。Integral Ecology では、探究法を明示することは、視点を採る主体(誰)、方法論(どのように)、探究される対象(何)を明らかにすることだと考えられていますので、各図中には、それらがはっきりするように記入されています。

図6 動物の1個体を内側から見る場合

図7 動物の1個体を外側から見る場合

どの方法においても、視点を採る主体は統合的な理論を理解した研究者になっています。
こうして、方法論を適用してわかってくることが、Integral Ecology , p.267によりますと、

ゾーン1 動物の自己開示  ゾーン2 心理学的構造
ゾーン3 共有された深度  ゾーン4 逸話(anecdotes)
ゾーン5 認知構造  ゾーン6 行動の順応性
ゾーン7 動物のコミュニケーション  ゾーン8 社会ダイナミクス

などに分類される事象になります。そして、これらの結果をまとめることで、動物の統合的な理解が達成されるわけです。ただし、統合する際には、ゾーンが互いに対して非還元的だということを心にとどめておくことと、レベルの違いを明確にすることが必要です。現実の理論においては、すでに複数の視点を同時に使用し、少なからず統合は行われています。ただし、統合的な方法論的多元主義を考慮に入れておきますと、ゾーンの互いに対する非還元性や、レベルの相違に対する配慮を忘れないですみます。

視点の重なりを形式的に表現する統合的数学

 ところで、統合的な方法論的多元主義に現れる8つの視点は、視点の二重の重なりになっているわけですが、コスモス138億年の歴史の間には、視点に視点が重なり続けてきたはずです。例えば、私達個々人が眼前にしている経験的世界は、138億年の視点の重なりの結果生じているのです。そうしますと、その複雑になり得る重なり具合を明確に捉えるには、形式論が必要になってきます。それが、ウィルバー5に登場した、視点の重なり具合を、記号によって形式的に構造化する統合的数学です。
Integral Ecology, p.248 によりますと、各ゾーンを開く方法論の構造を表わす記号形式の一例は次のようになります(実は図6、図7の中に、説明抜きで登場していました)。

ゾーン1:現象学(1-p×1-p×1p):一人称の視点(1-p、誰)が一人称のアプローチ(1-p、どのように)を使い、一人称(1p、何)を探究する。それは、直接経験(個の内面の内側)を探索する。
ゾーン2:構造主義(1-p×3-p×1p):一人称の視点(1-p、誰)が三人称のアプローチ(3-p、どのように)を使い、一人称(1p、何)を探究する。それは、直接経験のパターン(個の内面の外側)を探索する。
ゾーン3:解釈学(1-p×1-p×1p*複数):一人称の視点(1-p、誰)が一人称のアプローチ(1-p、どのように)を使い、一人称複数(1p*複数、何)を探究する。それは、間主観的な理解(集合的内面の内側)を探索する。
ゾーン4:文化的人間学あるいはエスノメソドロジー(1-p×3-p×1p*複数):一人称の視点(1-p、誰)が三人称のアプローチ(3-p、どのように)を使い、一人称複数(1p*複数、何)を探究する。それは、相互理解の再帰的パターン(集合的内面の外側)を探索する。
ゾーン5:オートポイエーシスの理論(3-p×1-p×3p):三人称の視点(3-p、誰)が一人称のアプローチ(1-p、どのように)を使い、三人称(3p、何)を探究する。それは、自己制御的行動(個的外面の内側)を探索する。
ゾーン6:経験主義(3-p×3-p×3p):三人称の視点(3-p、誰)が三人称のアプローチ(3-p、どのように)を使い、三人称(3p、何)を探究する。それは、観察できる行為(個の外面の外側)を探索する。
ゾーン7:社会的なオートポイエーシスの理論(3-p×1-p×3p*複数):三人称の視点(3-p、誰)が一人称のアプローチ(1-p、どのように)を使い、三人称複数(3p*複数、何)を探究する。それは、システムにおける自己制御的なダイナミクス(集合的外面の内側)を探索する。
ゾーン8:システム論(3-p×3-p×3p*複数):三人称の視点(3-p、誰)が三人称のアプローチ(3-p、どのように)を使い、三人称複数(3p*複数、何)を探究する。それは、観察できる全体の中での部分の機能的適合(集合的外面の外側)を探索する。

この例では、探求者の視点が主観的である場合1-p、客観的である場合3-p、探求者の探求対象の見方が内側からの場合1-p、外側からの場合3-p、探求対象の象限が内面的・個的なら1p、内面的・集合的なら1p*複数、外面的・個的なら3p、外面的・集合的なら3p*複数というように記号化して視点の重なり具合を表現しています。
この統合的数学という考えは、数学的というよりは、論理学的に扱うべきではないかと私には思えます。何故なら、論理学には命題論理学、術語論理学、様相論理学とありますが、例えば命題論理学は、真と偽の二値論理学です。具体的操作段階の固定的世界観に対応するような論理学だと思います。それに対して様相論理学は、可能と必然という様相を扱います。命題論理学を基礎として、しかしそれを含んで超える、さまざまな可能な在り方を思考する際の形式に関するものです。従って形式的操作に対応するような論理学だと思います。それに対して、ウィルバーが構想した統合的数学は、それまでの論理学が適用される現象世界の前提となる、視点を扱うわけですから、統合的なヴィジョン・ロジックという認識能力に対応する新しい論理学になるのではないかと思うのです。
冒頭にも述べましたが、この章では様々な研究方法が登場し、何となくこのようなものであろうという程度の理解しかできないものも多く、いつもにも増して文献をから引用して書く部分が多く、読者の皆様には大変失礼いたしました。ただ、読者の皆様がご自分で統合的多元主義について考察される際に、何らかの手がかりになりはしないかと考え、あえてこのような形ででも残しておきたいと思いました。