第2章 伝記編――トランス・パーソナルへ

 生化学の勉強はマスターまでで終え、『意識のスペクトル』という著書で人間の内面に関する画期的な理論を展開したケン・ウィルバーは、アイデンティティ・クライシスの克服と自己実現を果たしていました。そして運命の女性トレヤと出会うところで前章は終えたのですが、この続きを述べる前に、私がウィルバーの内面の成長を辿る際に前提としている、彼の諸著作から学んだ自己発達の理論(より具体的には、「私とは何者か」という問いに対する答え方の発達についての理論です。従って、自己感覚の発達論と言うべきかもしれません)について、簡単にまとめておきたいと思います。この理論を心に留めておいていただくことで、現実の彼の人生を、それに関する彼の理論で吟味し、その整合性を確かめていただけるとも考えたからです。

自己発達の理論

 幼児期のことは省略しますが、人は7歳程度で、具体的操作という認識能力を持つことになります。それは、眼前に広がる世界における規則や役割を理解できる能力です。この能力で自己を見るようになりますと、自己は、身体よりも社会における役割と同一化して見えてきます。例えば、私が「私とは何者か」と自問するときに、「私は○○商事の社員であり、一男一女の父親であり、健全な日本の国民であり」というように、社会での役割を中心に答えたとするなら、このとき、私はおもに具体的操作の能力で自己を見ていることになるわけです。このように、具体的操作の能力を使って自己観や世界観を形成しているとき、人は神話段階にあるとも言います。
ところが、人がおよそ13歳ごろから持ち始める形式的操作という認識能力では、具体的に現前する世界を超えて、様々な可能性を見ることができるようになります。そのため、この能力で自己を見るようになりますと、実際に持っている役割以外の役割を自分が持ち得ることがはっきりしますから、役割から自由な自己である自我を見出します。この場合、先ほどと同じように「私とは何者か」と自問するなら、「確かに私は○○会社の社員であり、父親で夫であり、健全な日本の国民であり、それらの役割に対し相応の責任を果たさなければならない者だけれども、より本質的には、私は基本的人権を持った個人である」というように、役割から自由な自我を中心に答えることになります。そして、会社での同僚や自分の妻についても、「同僚であるとか妻であるとかということで、私にとって大事な関係性を彼らは持ってはいるが、より本質的には、彼らは、それらの関係性をもった存在であるという以上に、基本的人権を持った個人なのである」と考えるようになります。
このように、形式的操作の能力を使って自己観や世界観を形成しているとき、人は理性段階(合理性段階)にあるとも言われます。ただ、このような言わば自己の解放において、理性以前の神話的な意識段階で同一化していた役割を含んだ上で超えていないと、自らの同一性を見失ったり、人生の意味を見失ったりして、アイデンティティ・クライシスや実存の危機と呼ばれる事態が生じます。しかしその時、自由な自我が、自らの様々な可能性の中から、自分の使命と思えるような役割を見出し、自らの責任のもとでそれに従事し、しかもその行為が、理性のレベルの人が当然持っているだろう世界中心的な世界観(普遍的な人権を基盤とする道徳観)に適合するもので、自他共に利をもたらすようであれば、アイデンティティ・クライシスは克服され、自己実現を成就したことになります。
例えば、私の両親がともに医者であり、彼らが患者さんたちから感謝されている様子を日常的に見ながら私は育ってきたと仮定します。そして、そのように多くの人に感謝される両親を誇らしく思い、彼らが現実に直面してきた様々な苦労も知らないまま、とりあえずは親と同じ道を進もうと考え、そして学校の勉強もよくできたために、大学の医学部に入学し、最終的に国家試験にも受かり、どうにか医師になれたとします。そして医師になって初めて、過酷な労働環境や、人の生死に対する重責のプレッシャーに直面するようになったとします。
この時、もし私が、過酷な労働環境や、人の生死に対する重責のプレッシャーに十分堪えることのできないような弱い心の持ち主であり、また他方において、役割に縛られない合理的な自我の持ち主であれば、他に自分に向いている仕事があるはずだと考え、ほどなく医師は廃業するでしょう。
しかし、想像以上の過酷な労働環境や人の生死を預かる重責のプレッシャーに直面はしたけれども、そして他の仕事も選べるけれども、自分はこの仕事で多くの人の役には立っているし、またそのような状況に多大な喜びを感じ、まさに自分の天命のように感じられるなら、その仕事を自ら選び直した上で続けることになるでしょう。その場合には、アイデンティティ・クライシスに陥ることもなく、自己実現を成就することになります。
ウィルバーの理論では、形式的操作の次の段階の認識能力はヴィジョン・ロジックと呼ばれています。ヴィジョン・ロジックについては理論編で詳しく述べることになりますが、形式的操作のように様々な可能性を並べたてるだけではなく、それら可能性を統一的な構造において眺めることができるようになります。自己実現を成就しているときには、世界という統一的な構造において、様々な可能性の中から、その構造に調和するように自らの判断で自らの役割を選んでいるわけですから、それはまさにヴィジョン・ロジックの能力で自己を見ているわけです。このような自己は、統合的な自己とでも呼べばいいのだと思います。
しかし、自己実現だけでは、実存の危機は完全には克服できません。世界と言う統一的な構造において自らの役割を選び、人生の意味を獲得することはできても、その意味あるすばらしい自分は、結局は死ななければならない有限な存在であるということが、そしてその死に対する本来的な不安が、相変わらず残されてしまうからです。ウィルバーは次のように述べています。

ヴィジョン・ロジックは、すべての可能性を心の眼の前に積み上げる。するとやがてそれは陰気な結論、すなわち個人の人生など宇宙の虚空の中の短い火花のようなものだという結論にたどり着く。すべてがどれほど素晴らしくても、私達はいずれ死ぬ。恐れは、ハイデガーが言ったように実存的存在の誠実な反応である。(『進化の構造1』、pp.412~413)

この不安の克服は、一見矛盾した言い方に思われるかもしれませんが、個人性に自己の重心がある限り不可能です。個と言う有限性を超えた、トランスパーソナルなレベルへと意識の重心が移行し、その認識能力であらためて自己を感じることが必要になります。以上が、ウィルバーの人生を辿ることを再開する前に、あらかじめ述べておきたいと思いました自己発達の理論の概要です。

テリー・キラムとの出会い

 1983年、『意識のスペクトル』が出版されてから6年ほどが経過した34歳のとき、ウィルバーはサンフランシスコ、ティブロンに移り、フランシス・ボーンの家に間借りし、彼女と彼女の恋人であるロジャー・ウオルシュと一緒に住み始めます。このころウィルバーが持っていたものは、机、椅子、タイプライター、4000冊の本でした。
その年の夏、フランシスとロジャーの紹介で、サンフランシスコ湾を望む友人宅でウィルバーは、当時36歳であったテリー・キラム(彼女は後にトレヤと改名しますので、以降トレヤと表記することにします)と会います。それは、互いに出会う定めになっていたと思う程の運命的なものだったようで、ほどなく二人は結婚することを決めます。
すでに何冊もの著作があり、執筆というダイモンを持ち、自己実現を果たしているウィルバーに、自らのダイモンをまだ見つけていないトレヤは強く魅かれたようです。そしてウィルバーは、自己実現を超える次の段階へ進むための道筋をすでに用意していました。彼自身が創造した意識のスペクトル論は個あるいは自我を超えるトランスパーソナルなレベルを含むものであり、そのレベルへ達するために、座禅などの実践をも初めていたのです。ただし、「神秘的修行において、僕はまだ初心者だった。ひとたび抱擁すればそれだけで全体性の中に溶け込むことができたにもかかわらず、それが消え去るのはあまりにもたやすかった」(『グレース&グリット〈上〉』、p.116、以下、断りがなければ、引用は同書あるいは同書下巻からです)と言う状況で、まだ自我への執着を十分ににコントロールできるようなレベルには至っていませんでした。トランスパーソナルなレベルに関しては、ほんの入り口付近にいたわけです。ウィルバーにしてみれば、容貌においても知性においても自分と釣り合うような女性と一緒に甘い生活を送りながら修業し、すんなりとトランスパーソナルな自覚的天国に入国しようと思っていたのかもしれませんが、後に次のようにトレヤに話すことになる、古典的な不安神経症、愛されることに対する過剰な執着はほとんど治っていなかったのです。

誰もが僕を愛すべきだと考えて、誰かそうじゃない奴がいると、不安になるのさ。だから子どものころの僕は、気が狂ったようにそれを過剰補償したものだよ。級長とか卒業生総代とか、フットボール・チームのキャプテンになったりしてね。受け入れられることを求める狂気の踊り、みんなにぼくを愛してもらおうと、求愛のダンスを踊ってた。拒絶されることに対する恐れ。でも、君が自分の心を閉ざして過度に自閉的になるのに対して、ぼくは心を開放して、過剰に外交的になったんだよ。(〈下〉、p.32)

この執着はもちろん、自我に強く結びついています。また、ウィルバーのダイモンである執筆を行うために使う概念、具体的操作、形式的操作、そしてヴィジョン・ロジックまでを含む思考能力全体も、「我想う故に我あり」というデカルトの言葉にはっきり現れていますように、我(自我)に必然的に結びつくものです。ウィルバーの場合、執筆の内容は、トランスパーソナルなレベルを含み、またそのレベルに触れることでなされるのでしょうが、表現するためには、思考する自我という乗り物に全面的に一体化する必要があります。
このように、愛されることに対する病理的な執着、そして、著述と言うダイモンに対するそれにも増した執着。これら自我に密接に結びつく執着を所有しているウィルバーですから、自我を含んで超えて、トランスパーソナルなレベルへと意識の重心を移行させるのには、甘い生活における、通常の瞑想だけでは難しいのではないのかと思えてきます。

結婚とトレヤの癌

 1983年11月26日にウィルバーとトレヤの結婚式は行われました。その10日後に、トレヤが悪性の乳癌を患っていることがわかります。そして一月も経たないうちにサンフランシスコ小児病院で乳房と腋の下の部分切除が行われ、続けて放射線治療をトレヤは受けることになります。
一年後の1984年11月21日にトレヤは右胸に小さな突起を見つけます。12月初旬、突起を切除しますが、検査の結果癌だとわかります。部分的乳房切除から一年経過し、トレヤは癌再発患者になり、右乳房を除去し、アドリアマイシン養生法(ADM)という化学療法を受けることになります。この療法のため、次の写真(1985年春、タホーにて。Grace and Grit, second edition, Shambhala,2000より転載)のように、トレヤもウィルバーと同じように頭を丸めることになります。
結婚、そしてトレヤの乳癌発見と再発。対処しなければならないことが次々と起こった1年半もの間、ウィルバーは、看病で本格的な執筆がほとんどできませんでした。そのため彼にストレスがたまっていきます。そのような状況を改善するには、彼が自分の時間を持てるように、トレヤに対して適切に主張できれば良かったのですが、彼には治癒されていない不安神経症がありました。トレヤを深く愛しているのだから、果てしなく自己犠牲できる、素晴らしい介護者であるべきだったのです。そのため、トレヤに率直な自己主張をすることができず、自分の状況をさらに窮地に追いやることになってしまいます。瞑想をすることも止めてしまい、トランスパーソナルなレベルどころか、自己実現も失われてしまいます。

修羅の日々

 もともとトレヤの苦痛の一つは、まだダイモンを見出していないということでしたが、ウィルバーには、自分のものだったダイモンがどこかに行ってしまったという苦痛が生じ始めました。そうして二人の間には、次第に後にしこりを残すような感情的な衝突が現れるようになります。
例えば、ウィルバーがトレヤの妹にガンの状況をトレヤ本人に断りなく話したことを知ったトレヤは、それをなじります。それに対してウィルバーは「もしこのガンの試練が自分だけのことだと思っているのなら君はばかだ」と怒鳴り返します。また、トレヤの親友がガンに罹った誰かについて電話してきて、ウィルバーと話したがるのですが、その際に親友がトレヤと話したがらなかったこと、そしてウィルバーがトレヤと話すように言わなかったことに彼女はむかつき、またもウィルバーをなじります。ウィルバーも、それにたいしては、初めて本当の癇癪を爆発させます。
1985年、36歳後半の頃について、ウィルバーは次のように回想しています。

 一日24時間トレヤと一緒にいるために、僕は執筆をやめ、三つの編集の仕事をやめ、自分の生活をトレヤのガンとの闘いに振り向けた。このちょっと前には大きな間違いだったが、瞑想もやめてしまった。くたくただったからだ。(〈上〉、p.244)

このころ二人は、将来の家庭を考えて買っておいた北カリフォルニア沿岸インクライン村タホー湖に引っ越します。そこでウィルバーは、朝からウォッカ、昼食・午後・夕食にビール、夜はブランデーと酒浸りの生活を送ったようです。しかもそれでも酔わなかったといいます。
実はこの1985年に、当初ウィルバーは知らなかったのですが、奇妙な病気、RNase酵素欠乏症(REDDと表記することにします)がインクライン村を襲い、ウィルバーも罹患していたのでした。REDDの症状である憂鬱とトレヤの病気、そして一年半以上も継続的な執筆ができないでいるという自身の窮状、こうした状況全体に関する不安がゆっくりと高まり、さらに本物のうつ病がかぶさっていきます。この意気消沈の状況の中で、自分の立場の絶望的な現実に動揺したあげくに、ときにパニックにまで陥ったウィルバーは、何カ月もの間断続的に自殺を考えるようになっていました。
瞑想を止めたことで、自我を超えるおおいなるものとの接触を失い、自己実現の核であるダイモンも失い、その結果生々しい自我が前面に出てきます。そして、自分のよりどころとしてナルシシスティックな自我以外見出せなくなったウィルバーは、その大事な自我を苦しめ、全てを台無しにしたと、辛辣な態度でトレヤを責め始めます。

僕の犯した最も単純にして壊滅的な過ちは、自分の苦難をトレヤのせいにして、彼女を責めた事だった。……著述や編集、瞑想といった自分の興味の対象を失うと、そのことでトレヤを責めたのだ。彼女がガンになったと言って責め、僕の生活を破壊したと言って責め、僕のダイモンを見失わせたと言って責めた。これは実存主義者の言う『悪しき信念』。そのひどい点は、自分自身の選択によって課せられた責任を回避することにある。
(〈上〉、p.251)

このように、抑うつ状態の原因の大半を、ウィルバーはトレヤのせいにしてしまっていたのです。それに対し彼女は、罪の意識と怒りの入り混じった反応をすることになります。この相互作用のもとで、二人は非難と罪の意識とからなる下向きの螺旋の中にどんどん落ち込んでいくことになります。同時に、両者の内面におけるネガティブな側面が炙りだされていきます。

僕の場合、恐れているとき、恐れに圧倒されているときは、ふだんならウィットとして受け取ってもらえる軽やかな態度が、嫌味と悪意に堕落し、まわりの連中みんなに噛みつく辛辣さへと退化する。……トレヤの場合は、恐れに圧倒されたとき、その弾むような活力が、頑固さやがさつな強情さ、支配し独占しようとする気持ちへと退化するのが常だった。(〈上〉、pp.272~273)

ウィルバーはある日銃砲店に行きます。そして「店内を歩くほどに、僕はますます興奮し、ますます腹が立ってきた。そうしてようやくわかった。自殺したいのではなく、本当は誰かを殺したいと思っていたのだ」(〈上〉、p.274)と気づきます。
この地獄のような状況の頂点は、次の出来事でした。ウィルバーは用事を自分のスペースで片づけていました。欲求をうまく主張することができないでいた彼は、自分自身の仕事部屋などないような状態でした。そこにトレヤが入ってきて新聞をガサガサと音をさせながら声を出して読み始めます。言い争いが始まります。そのあげくに、「ぼくは彼女を殴った。二回、そして三回と。こう叫びながら。『出ていけ、このやろう、出ていけ!』。ぼくは殴り続け、彼女は泣きわめいていた。『殴らないでよ!殴らないでよ!』……ぼくはそれまで女性に手を挙げた事はなかった。」(〈上〉、pp.275~276)
近年、ドメスティック・バイオレンスということがよく話題になりますが、そういう状況が、ウィルバーとトレヤの間でも起こったわけです。人は、親や親友や妻や恋人や愛人に対しては、身近なだけに、自分の状況を察してくれるのが当然のように思い込んでいますから、行き違いがあれば、極めて自己中心的に感情的な反応をすることになります。
意識の重心がトランスパーソナルなレベルに移行してしまっている例外的な人ならともかく、ほとんどの人は我を忘れてというか、我に夢中になりすぎて、普段では考えられないような極端な行動を取ってしまったりします。私にも、物を床にたたきつけたり、本当に身勝手な捨て台詞を言ったりした覚えがあります。ウィルバーもそのような状況に陥ったということは、そのとき彼の意識の重心は、トランスパーソナルなレベルからははるかに離れたところにあったことを示しているのでしょう。
しかし、この出来事が二人にとって転回点になりました。我に夢中になってあまりにもすごいことをしてしまいますと、ある意味で満足し、「何てことだ」とはっと我を見つめ直すことができるようになります。また、相手が、実は自分のことを思ったほど理解していなかったことに気づいたりします。
この後、ウィルバーは、それぞれの領分を明確にし、致命的な病気を抱える人間を相手に、欲求はちゃんと口に出してうまく伝えるという繊細な作業を学び始めますし、トレヤは、自分の独占的な傾向を改めるようになり、完璧主義とそれに伴う自己批判がかなりおさまるようになります。そして物事をありのままに受け入れ、そのままでO.K.なのだと感じるようになります。
1986年の新年、トレヤはタホーで数人の友人と新年のお祝いをしていました。その数日後、ミルヴァリーに戻り糖尿病になっていることがわかります。あらたな災厄がトレヤに加わりました。しかし、変化が起こり始めていた彼女は、自分の状況を客観視するのにそれほどの時を必要とはしなくなっていました。

自我、セラピー、そして瞑想

 二人はシーモア・ブースティンのカップル療法を受けることになります。それによって、修羅場において炙りだされた内面におけるネガティブな側面をお互いに自覚できるようになり、そして、執着の対象である自我への分析もなされます。

 自我という分離した自己感覚は、認識によって構成されたものと言うだけではなく、感情的なものでもあるということ。自我は、概念によってのみではなく、感情によっても支えられているということだ。……本来継ぎ目のない意識を、主体と客体に、自己と他者に引き裂くときはいつも、その自己は恐怖を覚えるということだ。理由は単純。今やあまりにも多くの『他者』がいて、それらがみな危害を加えてくる可能性を持っているから。この恐怖から怒りが生じてくる。……自我は感情的な傷の塊の中に閉じ込められ、その個人的な傷を自分の一要素とまでしてしまう。自我は傷つけられたことに憤りながらも、侮蔑や中傷をせっせとかき集める。なぜなら、それらなしには、文字通り無になってしまうからだ。……自我の感情の基調は、けっして許さず、けっして忘れないということなのだ。(〈上〉、pp.282~283)

自我が他人を許そうとしないのは、他人を許すことが自我そのものの存在を蝕むことだからだ。……許しによって、意識は自我やそれにたいして加えられた侮辱を手放し、そのかわりに主体と客体を平等に眺める<観照者>、あるいは<自己>すなわち真我に立ち返っていく。(〈上〉、p.284)

仏教の唯識のように、マナ識を含む八識という概念を利用してスマートには行われていませんが、これはこれで、見事な、自我への執着に関する生々しい分析だと思います。他者から受けた中傷に怒りを感じ、それを繰り返し味わうことで自分への執着を確認し、暗い気分の中でも、自我が強化されたという安心感を味わうことがときにあった私自身を思い浮かべたりもします。
遅ればせながらウィルバーがウィルス性の感染症に患っていることがわかります。脱力感は鬱のせいというより、この感染症のせいだったのです。カップル・セラピーを受け始め、4,5カ月たった1986年の初夏には、トレヤとウィルバーは状況を逆転させ始めます。
このころの状況についてトレヤは次のように述べています。「いったん自分の問題や弱点、悩みにたいする自覚的意識が培われたなら、それからはその神秘的な何かが、私たちの欠点を正して、道から外れないようにしてくれる」(〈上〉、p.291)。そしてその神秘的な何かを恩寵(グレース)と結びつけて彼女は考えていきますが、私にはそれは、後にウィルバーが『進化の構造』で触れることになる、宇宙に本来的に備わっている、進化あるいは発達への衝動として捉えられると思われました。
自我の分析に続き、瞑想の役割に関する再分析もされることになります。ウィルバーによれば、瞑想の一番の目的は、心的―自我的な活動を一時停止させ、超自我的あるいはトランスパーソナルな意識を発達させ、徐々に<観照者>ないし<自己>の発見に近づくことです。したがって、一時的に自我を手放し、自我に対する執着がなくなったとしても、それは抑圧のバリアの背後にあるものを取り除くまでにはいたりませんから、瞑想は、低次なレベルでの感情的障害を根本的には癒してくれません。それは、禅が骨折を治してくれないのと同じことです。
別の言い方をすれば、瞑想は一般的には深層意識で固化した病理的な体験や執着というシャドウを癒しはしないのです。それなのに、ウィルバーは感情への取り組みを回避するために瞑想を利用したり、愛されることに対する過剰な執着というシャドウに起因する神経症を回避するために座禅をしたことが幾度もありました。そして、当然ながら根本的な治癒には至りませんでした。今、彼はそんな逃避的行為の償いを迫られていると自覚し始めたのです。そして、古典的な不安神経症という心の病理と、高次なレベルを表現する執筆と言うダイモンの喪失感による魂の病理との両者による悩みの大半を、トレヤのせいにして責めた事を、ウィルバーは皆の前ではっきりと認めることになります。
こうしてセラピーを通じてシャドウを自覚し、病理を克服したのですから、次にすべきは、この改善された心理状態を安定させるために、瞑想によって<観照者>ないし<自己>へのアクセスを再開することでした。ウィルバーとトレヤは、修行の必要性を感じます。
まだウィルバーは瞑想を再開していませんでしたが、彼は一年程前までは、仏教的修行の禅を15年間続けていました。10年程前には、リンカーンでカタギリ老師のもとで悟りの体験もしていました。そして金剛乗仏教(チベットのタントラ仏教)にはいつも魅力を感じていましたし、また、あらゆる宗教の枠を飛び越えた、クリシュナ・ムルティ、シュリ・ラマナ・マハリシ、ダー・フリー・ジョンといった人たちにも魅せられていました。
迷ったあげく、ウィルバーとトレヤは、カル・リンポチェを共通の師として仰ぐことになります。
自身の「意識のスペクトル論」で扱われたセラピーと瞑想との関係に関する理論が、ある意味で実践的に検証される機会を、ウィルバーはトレヤとの出会いで得たわけです。
初夏、タホーを訪れた晩でした。トレヤはダイモンを再発見という形で見出します。それは「自分の腕で働く女性」です。陶芸をしたり、ステンドグラスをつくったり、著述したり、絵を描いたり、癌患者支援のための組織を創り集団で人々を助けたりすることでした。
6月サンフランシスコに戻ったトレヤは、乳房にしこりを見つけ除去します。そして癌だとわかります。再再発です。しかし今回彼女は落ち着いていました。行動(何をするか)から存在(いかに在るか)へ、知ることから作ることへ、物事を自分の掌中に置こうとすることから受け入れることへの内的変化がおこっていたからです。
1986年10月、二人の師であるカル・リンポチェにより、カーラチャクラの潅頂という仏教最高峰の儀式がコロラド大学で開催されます。それを機会にトレヤは、「テリー」から、スペイン語の「星(Estrella)」にちなんだ「トレヤ(Treya)」に改名します。この3年間は、彼女からすれば、ウィルバーとの出会いに始まり、4カ月後に彼と結婚(1983年11月)、そして、式の10日後に乳ガンを発見、1年後に再発(1984年11月)、そして再手術。半年間の化学療法と脱毛、八ヶ月後には糖尿病を発病(1986年1月)、その半年後の1986年6月またも癌再発と、めまぐるしい日々でした。

束の間の平穏

 1987年より、二人はボールダーにすむようになります。1984~1987年の間、トレヤの看病のため、ウィルバーは本格的な著作をあきらめてきたのですが、ようやく執筆を開始します。REDDの症状の改善もあったのでしょう、ダイモンがもどってきたわけです。800ページの大作、The Great Chain of Being: A Modern Introduction to Perennial Philosophy and the World’s Great Mystical Traditions『存在の大いなる連鎖――永遠の哲学と世界の偉大な神秘的伝統への招待』です(出版はされませんでした)。
一年検診の結果、トレヤに癌は再発していないことがわかります。トレヤが庭いじり、ガラス工芸に携わったこの数か月間は、二人に結婚以来の三年あまりの内で、初めて普通の生活を送っていると感じさせました。
しかし夏より、トレヤは悪夢を見るようになります。そして冬、ラドレーでクリスマスを過ごした後にボールダーに戻ると、トレヤは左側の視野がとりわけ煩わしくちらつくのに気づきます。そして脳の高密度CTスキャンをうけます。
1988年1月19日に結果が出ます。脳と肺に腫瘍があることがわかります。
トレヤは過激な化学療法を受けることを決断し、二人はドイツ、ボンにあるヤンカー病院へ2月下旬に到着します。

酒場での白昼の瞑想と実存的決断の再確認

 ドイツで、ほど遠くはないだろうトレヤの死を予感して(覚悟してと言うべきかもしれません)、ウィルバーは二人のこれまでを回想します。

 一緒に暮らし始めたとき、しばしば互いの相違にいらいらさせられた。僕は上の空の教授みたいに、いつも机上の空論で頭がいっぱい。単純な出来事からも複雑な理論を紡ぎだしていた。トレヤは大地を抱きしめ、きっちり計画を立てるまでは実行に踏み出すのをいやがる。……天と地のどちらか一方では、<スピリット>をつかまえることはできない。ハートの中に見出される両者の均衡だけが、死や苦しみを超えた秘密の扉へと通じる。これこそトレヤが僕にしてくれたこと、僕たちが互いにした……天と地の統合……。そのトレヤが死のうとしている。そう思うと涙が出始めた。(〈下〉、pp.159~160)

ウィルバーは地元のパブで酔いつぶれます。
次の日、「ぼくはトレヤのために、すべてをあきらめてきた。そしてそのトレヤは、今死につつあり、僕は彼女を見殺しにしようとしている」(〈下〉、p.163)と、トレヤを心配すると言うよりは、自己憐憫に浸りながら、白昼のドイツの裏通りをうろつきます。この時、一度克服したナルシシスティックな自我がまた前面に登場してきています。しかし今度は、それを含んだ上で、これまで以上に遠くへ超えていくためでした。
日曜日だったため、ほとんどの店は閉まっていましたが、どこからかポルカの音楽が聞こえてきます。それはこじんまりした酒場からでした。年配の男性たちが半円をつくって踊っています。ウィルバーはビールを飲み、泣き続けます。そして誘われるままに踊りに加わります。酒場で二時間、踊っては飲む間に、心の中にあった恐れ、パニック、自己憐憫、笑い、喜び、恐怖、自分への共感、幸せな気持ちなどの全てがさらけ出され、受け入れられたと感じ、心が落ち着いてきます。
「ぼくは彼女の死の可能性を受け入れ、そして、自分のことは脇に置いて、彼女を支えるために何でもすると選択したことに最後まで責任をもつことにした」(〈下〉、p.166)と、実存的な選択を貫くことを確認します。こうしたすべては、言葉も通わず、名も知らない親切なドイツの老人たちだけが同席する、小さな酒場での一種の瞑想セッションで行われたのでした。
1988年6月頃、三回目の化学療法を受ける前にボンで行われた検査で、トレヤの脳の腫瘍は残ったままで、肺と肝臓に新しい影があることがわかります。この極めて深刻な事態に、担当のシーフ医師はこれ以上化学療法は行わないと決断を下し、治療を断念します。
トレヤは、アメリカで、正統的医療と並行して、ニコラス・ゴンザレス博士のケリー・プログラムを始めます。それは消化酵素が腫瘍を始めとするあらゆる有機組織を分解するという単純な前提に基づいていました。

トランスパーソナルな意識への深化

 この治療を始める頃、トレヤは再び大きな内的変化を体験します。以前の最初の変化は、彼女自身の中にある「存在」の側面、女性らしさとか身体性、大地とのつながり、そして芸術性といったものの再発見でした。いまや彼女は「瞑想している時、どんな出来事にも、人や物にも執着せずに、情熱的な感情を抱く」(〈下〉、p.219)というようになります。そして情熱的な無執着とこの状態を表現します。自分を執着の対象としたりしがみついたりすることなく、しかも深く愛するのです。その結果日常生活に、穏やかな情熱をこめて取り組むようになります。
一方ウィルバーも、買い物や洗濯などの家事一般を引き受ける一方で、1988年7月、カナダで二週間のゾクチェン派の瞑想リトリートに参加するなど、本格的に瞑想を再開していました。
トレヤは、ウィンドスターでの講演で、5年間にわたるガンとの闘いで学んだことをあますことなく語ります。一方でウィルバーは、介護者としての役目について記した手紙を癌支援コミュニティに公表します。二人は、自分たちの苦闘にもはや溺れることはなくなっていました。それどころかその体験を、同じような苦しみを経験している、あるいは経験しつつある多くの人たちを助けるために、以前にもまして積極的に活用していこうとする境地に達していました。トレヤの癌は、二人の内面を成長させ、自我を超えた広がりをもたらしていたわけです。
1988年10月下旬、トレヤは携帯型酸素吸入器を使うようになります。CATスキャンの結果、脳の腫瘍が30%成長したことがわかります。10月20日頃には、トレヤの左目は完全に見えなくなります。そのころには、瞑想や介護という修行の深まりで、ウィルバーの意識状態は、対トレヤに関しては、恒常的にトランスパーソナルなレベルに重心が移動していたようです。彼は次のように述べています。

僕は彼女が必要としていることをあらかじめすべて予測するようになった。彼女が言葉にする前に、それどころか、ときには彼女が考えるより前に、求めているものや必要としているものを直感的に察知しているみたいなのだ。……家の中に、二人の人間がいるのではなく、ひとつの頭脳、ひとつの心しか存在していないような感じだった、ということだけである。(〈下〉、pp.313~314)

とりわけ最後の半年間、……僕たちはシンプルかつ直接的な方法で互いを助け合い、互いの自己を交換し合った。だからこそ、自分や他者、「わたし」とか「わたしのもの」といった観念を超越した、永遠の<スピリット>を垣間見たのだった。(〈下〉、p.343)

トレヤの死と『グレース&グリット』の執筆

 やがてトレヤの右目にも視覚障害が生じ、11月10日、彼女は腫瘍の大きな塊を切除するために解頭手術を受けます。
1989年1月にトレヤは死にます。そして死の一週間ほど前、トレヤはウィルバーに、自分たちの試練について執筆するよう頼みます。そのために必要だとして彼女が残した十冊の日記には、最後に「必要なのは、グレース(恩寵)と――そう、グリット(勇気)」という書き込みがありました。ウィルバーは、彼女が彼を通じて残したかったことについて次のように述べています。

恩寵(グレース)と勇気(グリット)。「あること」と「すること」。平静さと情熱。明け渡しと意志。完全な受容と猛烈な決意。こうした魂の二つの側面、彼女が全人生をかけて闘い取り、そしてついに一つの調和した全体性に統合することができた、この二つの側面――これが、彼女が後に残そうとした最後のメッセージだった。……その成就は、彼女が達した理解以下ではとても太刀打ちできない過酷な状況において、冷酷なまでに試された。彼女はそれを成し遂げ、その知識に習熟したのだ。(〈下〉、pp.325~326)

人の内面における弁証法的成就をウィルバーは目の当たりにしたわけです。というよりも、彼女と一体になることで、ともに成就したわけです。後にSex, Ecology, Spirituality『進化の構造』で、万華鏡の映像のような理論展開をする際に駆使される、一つの存在の一見矛盾する二つの側面を統合する弁証法は、この時実体験を通じてウィルバーの内面に深く刻みこまれたのだと思います。
ウィルバーはトレヤとの約束を守り、二人の試練を描いた『グレース&グリット』を執筆し、それは1991年に出版されました。