「『自己決定権という罠—ナチスから相模原障害者殺傷事件まで』における非実体的人間観」という小文をMMエッセイズ2に掲載しました。

 『自己決定権という罠—ナチスから相模原障害者殺傷事件まで』における非実体的人間観 をMMエッセイズ2に掲載しました。参考までにその小文の前書きを以下に移し書きしておきます。

 2016年7月、障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を殺害し、職員ら26人を負傷させた相模原障害者殺傷事件の植松(さとし)被告に、横浜地裁青沼潔裁判長が死刑判決を言い渡しました。2020年3月16日のことです。翌日の新聞に掲載された判決理由には、「殺人については他の事例と比較できないほど甚だしく重大であって、犯行の態様や動機を踏まえても、犯情は限りなく重く、被害者遺族らが峻烈な処罰感情を示すのも当然である」(1)とありました。同紙には、2カ月あまりに及んだ裁判を振り返っての、裁判員や有識者の一言も紹介されていましたので、いくつか引用してみます。

「刑事責任能力という意味では答えを出せたが、彼が心の底で何を思っていたかは分からなかった」(裁判員の一人)

「背景に迫ることを期待したが、非常に浅い印象。世の中にあふれる差別という問題に、社会が向き合うべきだ」(藤井克徳・日本障害者協議会代表)

「公判は生い立ちまでを含めた経緯を明らかにする場だが、今回は障害者やその家族の願いとはほど遠い」(最首悟・和光大学名誉教授)(2)

事件当時大麻を乱用していた被告の刑事責任能力の有無に関しては明確に有の結論を出した法廷ですが、凶行に至ったことの背景・原因の解明を期待していた人たちには物足りなく感じられたようです。ではそれらの人たちはより具体的にどのようなことの解明を求めていたのでしょうか。
 公判開始のおよそ一カ月前に神奈川新聞に掲載された記事(3)によると、「障害者は不幸をばらまく存在」だとする被告の主張に同調する投稿が、事件後からずっとネットにあふれ続けているとあります。同記事には、被告との接見や文通を通じたり、大学の講義を通じたりして、そういう風潮を社会に問い続けている人たちへのインタビューも掲載されていました。今度はそれらからいくつか引用してみます。

「日本社会には『働かざる者、食うべからず』という、生産能力の低い者を排除する風潮がある。植松被告のような考えを心に持つ人は社会の圧倒的な多数派だ」(最首悟和光大学名誉教授)

「(植松被告は)今の日本の風潮を体現した『時代の子』。いわゆる、ネット民の象徴であり、ネットに自己責任を書き込む人の象徴。要するに(植松が言うところの)『社会のお荷物』のせいで、自分たちがこれだけしんどいんだという風潮に洗脳された若者の一人」(ノンフィクションライター 渡辺一史氏)

「ナチスに『いきるに値しない命を終わらせる行為』を実行に移させた思想は、今も残っていないだろうか」「強者が生き残り、弱者が駆逐される『適者生存』『自然淘汰』の考えは深く根付き、事あるごとに日本社会の表層に顔をのぞかせてきた」(田坂さつき立正大学教授)

 以上わずかな引用ですが、これらを読むと、植松被告のあの歴史的な凶行の原因には、実は日本人の多くが共有している基本的な考え方があると識者の方々は考えているようです。私たちの多くが共有していて普段無自覚に従っている考えにこそ、植松被告が犯行にいたった根本原因があり、それを明確にすることこそが、この事件の背景・原因の解明を求める人たちが期待していたことだと思えました。法廷はそういう期待に応えられなかったのでしょうが、半年ほど前に読んだ『「自己決定権」という罠——ナチスから相模原障害者殺傷事件まで』(4)における論考には、思い返すとそういった期待に応えているところが多々あった気がします。
 著者の小松美彦東京大学大学院教授のことは、昨年(2019年)9月、終末期医療に関するご講演(5)をお聞きするまで知りませんでしたが、その際語られたことは私にとってショッキングでした。安楽死・尊厳死、脳死・臓器移植の法制化に関する議論の活発化は、人権を重視しながら行われているように見えて、実はその背後に福祉国家や生資本主義者の打算があるというのです。しかもそこには、多数の障害者の安楽死とユダヤ人のジェノサイドをひき起こしたナチスの思想や、凶行を行った植松被告の思想との共通性があり、そのさらに大元には、私たちの多くが無意識に信じ込んでいる個人主義的人間観があるというのです。小松氏はその人間観を否定し、人々の関係性を強調するより現実に適合する実存的な人間観を提示していました。講演でお聞きしたこれらのことは本書に詳しく書かれていて、日本のこれからを考えるうえで非常に参考になると私には思えました。そこで、植松被告の犯行に対する判決が出たこの機に、本書の内容を私なりに少しご紹介したいと考えました。それがこの小文を書いた理由です。
 本書は安楽死、臓器移植の問題を中心に書かれていますが、その際に個人主義、自己決定権、尊厳といった概念が重要な役割を果たします。そこでこの小文では、まずそれらを簡単に確認し、それから本書が主題にしている安楽死や臓器移植などの話題に入っていくことにします。最後に、小松氏の主張する関係性重視の人間観に触れることにします。 なお、Wikipediaの「相模原障害者施設殺傷事件」の項によれば、植松被告の弁護人は、2020年3月27日付で判決を不服として東京高等裁判所に控訴しましたが、被告人自身が控訴期限となる2020年3月30日付で東京高裁への控訴を取り下げる手続きを行い、横浜地検も控訴しなかったため、控訴期限を過ぎる2020年3月31日0時(日本標準時)をもって死刑が確定したそうです。

(1)「相模原殺傷事件 判決の要旨」 読売新聞 2020年3月17日

(2)「なぜ差別 迫れず‥‥相模原45人殺傷 死刑判決 遺族「悲しみ消えない」」 読売新聞 2020年3月17日

(3)「障害者はいらないのか?19人殺害の「なぜ」に向き合う」 神奈川新聞 2019年12月13日

(4)小松美彦 『「自己決定権」という罠——ナチスから相模原障害者殺傷事件まで』、言視社、2018

(5)まちだ市民大学HATS 人間科学講座—テクノロジー・いのち・人権— 第2回「人生の最終段階における医療とは何か——ナチス安楽死思想と現在」 2019年9月25日

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です