書評 『ヒトはどうして死ぬのか――死の遺伝子の謎』

増田満

 『ヒトはどうして死ぬのか』(幻冬舎新書、2010)の著者、田沼靖一氏は、東京理科大学薬学部教授であり同大学ゲノム創薬研究センター長です。氏は同書で、細胞にはアポトーシスとアポビオーシスという自ら死ぬ(自死の)現象を起こす遺伝子があること、ガン・アルツハイマー症・エイズなどの疾病がその遺伝子の働きと関わっていること、そのためアポトーシスとアポビオーシスの解明が治療薬開発につながることなどを簡潔に説明しています。とりわけ、遺伝子による自死のプログラムの存在から、性生殖する生物は本質的に利他的であるのだと述べられているのが印象的でした。確かに人間は自分が生き抜くことに関しては非常に熱心であり利己的に思えますが、一方で家族や社会とのつながりを重視して利他的でもあります。その利他的であることの生物学的根拠に、人間が性生殖を行い自死のプログラムを持っていることがあると考えられるというのです。その論理の概略を述べることで本書の書評としたいと思います。

原核生物は事故などがない限り生き続けようとする

 DNAを遺伝情報として持つ始原生物が35億年前に現れてからその後20億年は原核生物だけがいたそうですが、その原核生物について本書では次のように書かれています。

原核生物は、遺伝子のセット(ゲノム)を一組だけ持つ「一倍体」の生物です。一倍体の生物は、同じ遺伝子をコピーしながら無限に増殖を繰り返し、〝親〟も〝子〟もなく絶えず殖えていく生き物です。そこには、急激な環境変化などによる「事故死」が起こる以外、自ら死んでいくという「死」は存在していませんでした。(p.138)

原核生物もその遺伝子も、「自分と同じものをより多く未来に残そうとする」ので、当然各個体は生き抜くあるいは存続するために極めて利己的にふるまうはずです。本書には、「実際、無性生殖のみを行う細菌は、まったく利己的にしか見えません」(p.154)と書かれています。
人間も、元をただせば原核生物から進化してきたのですから、基本的には、利己的な行動をしてより長く生きようとするのが当然だと思えます。しかし本書は、利己的な側面があることを否定しませんが、人間も含まれる「有性生殖のシステムを持つようになった生物は、利己的なだけでは生きていけない」(p.154)のだと主張するのです。

有性生殖とは、そしてその利点とは

 15億年前に、遺伝子を収納する核を持つ真核生物が現れ、その真核生物のなかに接合した遺伝子のセット(ゲノム)を二組持つ「二倍体細胞生物」が現れたそうです。二倍体化によってゲノムを二セットもつことは、環境条件が悪くなっても、生物が遺伝子情報をより確実により安全に残せるようにするそうです。ところで、二セットのゲノムは、父親と母親から一組ずつを受け継いでいますので、「二倍体細胞生物の誕生とは、地球上に初めて『オス』『メス』という『性』が現れたことを意味して」(p.139)います。
では二倍体生物が子孫を残す有性生殖の仕組みを図1、図2を参照しながら本書の叙述に基づいてたどってみます。まず生殖細胞(図1の一番左の円)が、持っている二組の染色体を複製し細胞内に四組の染色体をつくりだします(図1の左から二番目の円。なお、各染色体は一組の遺伝子を持っています)。このとき染色体間で組み換えという現象が起こり、二組の遺伝子がランダムにシャッフル(混ぜ合わ)されます(図2を見てください。二組がシャッフルされて新しい二組が形成されます。これが複製された二組のほうでも行われるので結局図1の三番目の円のように組み替えられた四組の染色体ができます)。その後、「第一次分裂」によって二つの細胞に分かれ、続いて「第二次分裂」で染色体の遺伝子セットを一組だけ持つ四つの細胞ができ、それぞれ精子または卵子となるのです。これが有性生殖を行う一倍体の細胞(精子または卵子)ができるメカニズムです。

図1 生殖細胞における減数分裂のメカニズム(p.140 図18 より)
図2 遺伝子はこのように組み替えられる(p.141 図19より)

 例えば、今の図1の減数分裂の過程がCさんの生殖細胞に起きて精子がつくられ、同じく減数分裂の過程が妻のDさんの生殖細胞にも起きて卵子がつくられたとします。そして、それぞれの精子と卵子が持ち寄った遺伝子セットが合わさることで二倍体の受精卵がつくりだされると、まったく新しい遺伝子組成を持つ受精卵が形成されたことになります。これが有性生殖です。
この有性生殖の利点は、常に新しい遺伝子組成をつくることで、環境の変化に適応したり、バクテリアやウイルスといった外敵に対して抵抗力を持ったりする子孫をつくっていけることにあります。

有性生殖の不都合な点

 有性生殖には利点があるだけでなく不都合な点もあることが143ページから145ページにかけて書かれています。それは以下の二つにまとめられます。

第一の不都合な点 ランダムな遺伝子の組み換えによって新しい遺伝子組成を持つことになった受精卵は、必ずしもすべてが望ましいものであるとは限らない。
第二の不都合な点 生物は生きている間、さまざまな化学物質や活性酸素、紫外線、放射線などの作用によって、日常的に遺伝子にキズを負っている。こうしたキズは日々修復されるとはいえ完璧に直せるわけではなく、古い遺伝子には多くのキズが変異として蓄積する。そしてこのような変異は、子孫を残すための生殖細胞にも蓄積する。そのため、老化した個体が生き続けて若い個体と交配し、古い遺伝子と新しい遺伝子が組み合わされると、世代を重ねるごとに遺伝子の変異が引き継がれて、さらに蓄積していくことになる。もしこのようなことが繰り返されると、種が絶滅して遺伝子自身が存続できなくなりかねない。

 第一の不都合な点を解消する手段としては、望ましくない〝不良品〟をスムーズに排除する仕組みを持つことが考えられます。第二の不都合な点を最も確実かつ安全に回避する手段としては、古くなってキズがたくさんついた遺伝子を個体ごと消去する仕組みを持つことが考えられます。そしてこれらの仕組みが、遺伝子にプログラムされたアポトーシスとアポビオーシスという二つの自死の現象を起こす力によって実現されていると本書は述べています。その概略を述べるために、まずはこの二種類の自死の現象についてまとめてみます。

アポトーシスとアポビオーシス

アポトーシス(apoptosis)
細胞は、「内外から得た様々な情報――『あなたはもう不要ですよ』というシグナルや、『自分は異常をきたして有害な細胞になっている』というシグナル――を、総合的に判断して〝自死装置〟を発動する」(p.19)そうです。その際細胞は、次のようなアポトーシスと呼ばれる〝自殺〟する現象を起こすと本書には書かれています。

この装置が働き始めると、細胞はまず自ら収縮し始めます。そして核のなかのDNAを規則的に切断し、小さな袋に詰め替えると、葡萄のような小さい粒に断片化していくのです。この粒は、「アポトーシス小体」と呼ばれています。
アポトーシス小体は、免疫細胞の一つである食細胞・マクロファージに貪食されたり、周囲の細胞に取り込まれたりすることによって身体のなかからきれいに消去されます。(p.20)

このアポトーシスの基本的な役割は二つあります。
一つは個体の完全性を保つ「生体制御」の機能としての役割です。「個々の細胞が個体全体を認識し、アポトーシスによって不要な細胞が自ら死んでいくことが個体を個体ならしめている」(p.48)と本書では述べられており、細胞の増殖や分化と同様に本来的に備わった基本機能とされています。生物が単なる細胞の塊ではなく、様々な形態を形作っているのは、このアポトーシスによって細胞が自死することでなされるそうです。例えば蝶の羽の複雑な形も5本指がある人間の手の形もアポトーシスの働きで作られるそうです。
もう一つは、「ウイルスやバクテリア、ガン細胞といった内外の〝敵〟が現れたとき、異常をきたした細胞をアポトーシスの発動によって消去する『生体防御』の役割」(p.47)です。個体を守るのです。

アポビオーシス (apobiosis=寿死)
皮膚や胃や腸などの分裂・増殖する機能を持つ細胞は「再生系」の細胞と呼ばれています。それに対して、脳の中枢の神経細胞や心臓の心筋細胞などは、生命の維持において高度な役割を果たしていて、簡単に置き換わるわけにはいかず、増殖せずに生き続けます。そのため「非再生系」の細胞と呼ばれています。
ところで、非再生系の細胞は増殖せずに生き続けるとはいうものの、例えば大脳皮質にある神経細胞などは恒常的に死に続けており、永遠に生き続けることはできません。しかし、「実際、神経細胞が死んでいく様子を観察すると、アポトーシスの場合と比べて、DNAが大きな断片に切断されるという明確な相違点」(p.51)があり、アポトーシスを起こすのとは「別のプログラムされた細胞死」(p.51)があると本書はみなします。そこでこの現象をアポビオーシスと本書は命名したのです。

細胞死と個体の寿命の関係
再生系の細胞の「DNAの末端には『TTAGGG』という順に並んだ6文字の配列が1000~2000回も続いている」(p.55、TとかAとかGとかの文字は特定の塩基を指しています)テロメアという部分があるということです。「二重に絡み合ったDNAのひもを縄跳び用の縄に例えれば、テロメアは縄の両端にあるグリップのようなもの」(p.55)であり、細胞が分裂するたびに、その『TTAGGG』の文字列の約20個分ずつ短くなっていき、「長さが半分ほどになると、細胞は分裂をやめてアポトーシスを迎える」(p.55)そうです。そのため、再生系の細胞には分裂できる回数に上限があり、人間の場合およそ50~60回だそうです。これを本書では再生系の細胞は分裂の「回数券」を持っていると比喩的に表現しています。
また、非再生系の細胞も、やがてはアポビオーシスという自死の現象で死なざるを得ないのであり、生き続けるといってもその期間には上限があります。これを本書では、非再生系の細胞は「定期券」を持っていると比喩的に表現しています。
すなわち、再生系の細胞の「回数券」の枚数と、非再生系の細胞の「定期券」の期間との関係で生物の寿命の上限値が決まってくるのです。本書では人間ではおおよそ120年ぐらいが上限値だと見積もっています。そして、「紫外線や化学物質、放射線物質、ストレスや暴飲暴食によって多量に発生する活性酸素など、種々の後天的な環境・生活要因によって『回数券』を早く使い果たしてしまったり、『定期券』が早く切れてしまったりすれば」(p.58)、事故死などなくても個体は最大寿命まで生きることができないのです。

アポトーシスとアポビオーシスによる不都合への対応

 有性生殖による不都合な点の第一は、ランダムな遺伝子の組み換えによって新しい遺伝子組成を持った受精卵は、必ずしもすべてが望ましいものであるとは限らないということでした。これへの対応について本書は次のように述べています。

受精卵は、2倍、4倍、8倍と分裂して8細胞期になったあたりで、その後さらに分裂・増殖を繰り返して発生を続けていけるかどうか、つまり「生きるべきか死ぬべきか」を自分で判断しているようです。〝不良品〟である場合、アポトーシスのスイッチを入れることで、その有害な遺伝子組成を消去しているのです。(p.143)

このように、第一の不都合な点にはアポトーシスで対応しています。
第二の不都合な点は、「老化した個体が生き続けて若い個体と交配し、古い遺伝子と新しい遺伝子が組み合わされると、世代を重ねるごとに遺伝子の変異が引き継がれて、さらに蓄積していくことになる。もしこのようなことが繰り返されると、種が絶滅して遺伝子自身が存続できなくなりかねない」ということでした。そして、この危険性を最も確実かつ安全に回避する対応法は、古くなってキズがたくさんついた遺伝子を個体ごと消去することでした。ところで細胞にはアポトーシスとアポビオーシスという二重の死の機構が組み込まれています。そのために寿命の上限値以内で確実に個体が死に古い遺伝子をまるごと消去します。こうして、有性生殖する生物はこの不都合に対応しているのです。
本書はこれに付け加えて、寿命の上限値以内で確実に個体が死ぬことは、「有利な突然変異を活かす」という観点からも、その必要性が見て取れると主張しています。理由は、「古い個体が生き残っていると、せっかくの好ましい変異が元の遺伝子と合体し、薄まってしまう」(p.146)からです。種の進化を推し進めるためにも、「死」によって、古い個体を確実に消去していくのが優れた戦略であると考えられているのです。

利己性と利他性

 遺伝子は、自身の繁栄を目指すという意味においては利己的な存在なのでしょう。ところが、これまでの記述からはっきり見て取れるのは、「生物は『性』とともに『死』という自己消去機能を獲得したからこそ、遺伝子を更新し、繁栄できるようになった」(p.147)ということです。そして本書は、「この『自らを消し去る』というふるまいは、遺伝子が『利他的な存在』であることを強く示している」(p.153)とし、「有性生殖のシステムを持つようになった生物は、利己的なだけでは生きていけない」(p.154)とします。そうして、次のように論じています。

遺伝子が本質的に利他的であることを思うと、その繁栄としての私たちの個体も、究極的には「他」のために生まれてきているのでしょう。私は、死の遺伝子が「利他に生きること」を本来の姿として求めているように感じます。そしてそれが自利となってくるのだと思います。
「生きるとは何か」「自分とは何か」という問題、言い換えれば「人間が生きていく意味」は、「個として全体のためにどのようにあるべきか」「自分以外の他者のため、次の世代のために何を遺すか」にある――これが、「死の科学」を敷衍して導かれる答えなのだと思います。 (p.165)

利己的な遺伝子論と利他的な遺伝子論

 以上簡単に、「遺伝子は本質的に利他的」だとする本書における論理を追ってきましたが、これは、個体レベルでの利他的行動も説明するリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」論とどう違うのでしょうか。
ドーキンスは著書『利己的な遺伝子<増補新装版>』(日高敏隆他訳、紀伊国屋書店、2006)の冒頭にある「三十周年記念版への序文」の中で次のように述べています。

自然淘汰は、私が主張するように、遺伝子のあいだで選択がなされるのだろうか。この場合、生物の個体が「遺伝子の利益のために」、たとえば、同じ遺伝子のコピーをもっている可能性が高い血縁者に給餌したり、保護を与えたりするという形で、利他的にふるまうことを見つけても驚くべきではないだろう。(「三十周年記念版への序文」p.ⅲ)

彼はこのように、個体が利他的にふるまっても、遺伝子が利己的だということと矛盾しないとしています。この彼の論旨は、ウィキペディアの「利己的遺伝子」という項目からの次の二つの引用文に明確にされていると私は思います。

ドーキンスをはじめとする遺伝子選択論者は、選択や淘汰は実質的には遺伝子に対して働くものと考え、利他的行動が自然界に存在しうる理由を以下のように説明した。
1. ある遺伝子Aに促された行動は、自ら損害を被っても同じ遺伝子Aを持つ他の個体を助ける性質があると仮定する。これは個体レベルで見れば利他的行動である。
2. その行動による個体の損失より遺伝子Aを持つ個体全体が受ける利益が大きいなら、遺伝子Aは淘汰を勝ち抜き、遺伝子プール中での頻度を増していくと考えられる。
3. 結果として、遺伝子Aに促された利他的行動も広く見られるようになる。
遺伝子Aは繁殖率が高いので利己的と言える。すなわち、個体の利他的行動も遺伝子の利己性に基づいた行動として説明される。

遺伝子の目的は、自分のコピーを遺伝子プール内に増やすことであり、遺伝子は他の個体を助けることによって、その個体の中にある自分のコピーを助けることが出来る。これは、個体のレベルで見れば利他的行動だろうが、実質的には遺伝子による利己的行動である。

すなわち、ドーキンスらは、繁栄している種の個体の遺伝子は極めて利己的であるがゆえに利他的行為を取り得るようになっていると考えているのです。
それに対し田沼氏は、有性生殖の登場によって、自らと異なる組成の遺伝子を積極的につくり、そこに現れたより環境に適応する遺伝子が繁栄するように、遺伝子自体に自死のプログラムが組み込まれているとします。遺伝子自身が異なる遺伝子の繁栄のために個体を自死させる利他的な因子を持っているとするのです。有性生殖をする生物の場合、個体の利他的行動の生物学的要因には、ドーキンスが唱えている遺伝子の利己性の他に、遺伝子自身の利他性も付け加わったとするのです。そこに進化に関する新しい生物学的解釈が示されていると私は思いました。
ただし、それらが他の生物とは異なり理性以上の精神的領域を発達させた人間にどれほどの支配力を与えることになるのかは、本書には書かれていません。ドーキンスは先ほども引用しました『利己的な遺伝子<増補新装版>』(日高敏隆他訳、紀伊国屋書店、2006)の「三十周年記念版への序文」で「われわれの脳は自らの利己的な遺伝子に叛くことができる地点まで進化したのである」(p.ⅹⅳ)と述べています。確かに私たちは、遺伝子に支配されて利己的になったり利他的になったりするよりも、人間独自の論理によって利己的であったり利他的であったりする面がはるかに強く、例えばiPS細胞の技術やコンピューターと人間とを融合させるような技術によって、寿命の上限を120年以上に伸ばし、本来の遺伝子の支配から脱しようとしているかにも見えます。そのような可能性についての評価もいずれ本書の著者に下していただきたいと思いました。

この書評は「サングラハ第155号」(2017年9月発行)に掲載した同名の書評をもとにしています。