私も憲法改正論
——十七条憲法の精神を前文に組み込み、戦力としての自衛隊の存在を認める

増田満

 このところ憲法改正がしばしばテレビ・新聞などで話題になります。先日(2018年10月24日)の臨時国会での所信演説で、安倍晋三首相は憲法改正案の国会提示に意欲を表明しましたし、その少し前には、自民党総裁選の討論会で安倍首相と石破茂氏が各々の改正論を述べていました。その際の首相の案は9条の1項と2項をそのままにして、自衛隊の根拠規定を付け加えるというもので、石破氏の案は、9条そのものを削除し、自衛隊が戦力であることを明確にするというものです。いくつかの報道番組で、彼らの意見に関して、大学の先生たちがコメントしているのを見ましたが、中でも、国家が交戦主体になれる場合は国際法でどのように規定されているのかを説明し、世界基準に照らして憲法改正を考えようとする東京外国語大学教授伊勢崎賢治氏のコメントには強い印象を受けました。
一応私も憲法をこのように変えてほしいという意見を持っています。専門家のように学術的に細部を詰めることなどはできないので、ごく大雑把な希望にすぎませんが、それでも民主制国家の一員としてどこかで述べてみたいと思っていました。
私の意見は二つに分けることができます。一つは日本書紀にある十七条憲法の精神を改正憲法の前文に組み込んで欲しいということです。もう一つは自衛隊を現実に適合するように軍隊と認め、現憲法の9条を削除あるいは変更してほしいということです。これら二つに関して以下順に説明していきます。

1.十七条憲法の精神を改正憲法の前文に組み込んで欲しい

 日本の原点にある国家像は「緑の福祉国家」という国家像と一致させることができる

 先進国と呼ばれるような国々では、混合経済システムを採用して福祉国家を築くことで、「自由、平等、連帯」という民主主義のイデオロギーの実現を図っているように見えます。貧富の格差が非常に大きなアメリカ合衆国(自由を極めて重視)から高福祉で有名な北欧諸国(自由と同程度に平等・連帯を重視)までその対応の度合いは様々ですが、どの国も一方で市場経済を社会の基本システムとして自由(な経済活動)を保証し、他方で累進課税制度をはじめとする諸施策に基づいて財政を強化し、全ての人の生存権を保証するセーフティネットを築こうとしているからです。民主主義のイデオロギーを良しとする立場からすれば、混合経済に基づく福祉国家というのは基本的にうまいやり方だと思います。
しかし環境問題が顕在化することで、人間社会存続の前提となる自然生態系が危機に陥っていることがはっきりしてきました。自然生態系の復元力を遥かに上回るような影響を人類の産業活動が及ぼしつつあることが1970年頃から明らかになってきたのです。そのためスウェーデンは1996年に「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な福祉国家)」という国家像を提唱し、人間社会での民主主義的調和のみならず、より基礎的な自然生態系の調和まで明確に国家像に含めるようになったのです(詳しくお知りになりたい方は、小澤徳太郎著、朝日新聞社2006年出版の、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』を参照してください)。環境問題の深刻化が加速化しつつある2018年の今こそ、世界中の国々でこの「緑の福祉国家」のような国家の理想像が採用され、それに向けて各国が邁進することが切に望まれます。
ところでMMエッセイズ2掲載の「近代、アメリカ、日本 三つの未完のプロジェクト」でも述べましたが、岡野守也氏は日本の国家目標を「緑の福祉国家」とすることと、それに向けて前進する際に日本の原点にある「十七条憲法」を活用することとを提唱しています。
十七条憲法に関しては、当時の官僚の心構えとして理解するのが現在一般的なようです。例えばインターネットサイトのコトバンクに掲載されている「平凡社 世界大百科事典 第2版」の解説では次のように書かれています。

7世紀初めに聖徳太子が作ったと伝える法制で,日本最初の成文法とされる。《日本書紀》推古12年(604)4月戊辰条には,〈皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条を作る〉として,以下に17ヵ条から成る長文の条例の文章を掲げており,これがふつう十七条憲法と呼ばれている。その内容は法制とはいっても近代の憲法や法律規定とはやや異なり,むしろ一般的な訓戒を述べたもので,当時の朝廷に仕える諸氏族の人々に対して,守るべき態度・行為の規範を示した官人服務規定ともいうべきものである。

しかし、岡野氏のように、国の理想像が描かれていると見ることも可能だと思います。氏によれば、三経義疏を著した聖徳太子の仏教に関する造詣の深さからすると、十七条憲法第一条にある「和を以て貴しとなし」の「和」とは、「人間と人間との平和、人間と自然の調和」(『日本再生の指針』、岡野守也、太陽出版、2011、p.21)を意味するのです。そしてさらに条文を読み進むことで、国のリーダーも官僚も、「すべての生きとし生けるものを庇護し支えるために」(同p.95)存在し、また「和」という国家理想を実現するには、「合議制でやるべきだ、徹底的に話し合ってやるべきだ」(同p.65)とされているのがわかるとし、そしてこれらのことは、スウェーデンが民主制の手続きで「緑の福祉国家」を建設しつつあることと重ねられると岡野氏は主張するのです。
確かに、「人間と自然、人間と人間が調和し、すべての生きとし生けるものが庇護され支えられること」は、「生態学的に持続可能な福祉国家であること」と重ねることができそうですし、また「人間と人間とが合議を尽くしてことを進めるということ」は「民主制の手続き」に重ねることができそうです。
このように、日本の原点と言える十七条憲法に理想とすべき国家像がすでに設定されていて、それを今目標とすべき「緑の福祉国家」という国家像と一致させることができるのなら、日本人は自国の原点を再認識することによって、誇りをもって日本を「緑の福祉国家」へと進めていくことができるのではないでしょうか。そのような原点がない場合に比べ、達成に向けての意欲には相当の隔たりが生じると思われます。岡野氏は、まさにそういうことを主張しているのです。
では日本人に十七条憲法に書かれている国家像を再認識してもらううまい方法はあるでしょうか。その方法として私が提案したいのが、十七条憲法の精神を前文に組み込んだ新しい憲法を制定するということです。

日本国憲法を改正するのなら十七条憲法の精神を前文に組み込んで欲しい

 現日本国憲法の前文には、次のように国としての理想や目的が書かれている部分があります。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(国会図書館のホームページ 電子展示会 日本国憲法の誕生 より)

ところで、先ほど述べましたように、岡野氏の主張に従えば、「十七条の憲法」にも日本という国の理想のかたちが書かれており、それを「緑の福祉国家」という先進的な国家像と一致させることができます。私はその考えに賛同し、国民全員が必ず学ぶことになる憲法を改正する際には、前文に「十七条の憲法」の精神を組み込んで、日本の原点に「緑の福祉国家」という目指すべき先進的な国家像と一致する理想像があったことを明示してほしいと思います。そうすれば、日本人は自国の原点にある国家像と一致する「生態学的に持続可能な福祉国家」を、誇りをもってより積極的に建設していけるようになれると考えるからです。現日本国憲法に書かれていることは素晴らしい理想像だと思いますので、その精神は残したうえで、早急に実現すべき「緑の福祉国家」という具体的理想像も加え、しかもそれが建国以来の日本の理想像と一致していることを明確にしてほしいのです。

2.自衛隊を戦力として認めてほしい

平和国家であるためには軍事力が必要では

 MMエッセイズ2掲載の「中立国スイスとスウェーデンを参考に将来の民主主義国の在り方を考える」で私は、日本では平和国家のイメージを持たれている中立国スイスとスウェーデンが、二つの世界大戦の戦前、戦中、戦後を通じて多大な軍事的努力を行ってきたこと、またそれが中立を守るための不可欠な要素の一つであったことを報告しました。またスウェーデンは、ウクライナのクリミア半島を強引に併合し、対スウェーデンを思わせるような軍事演習を行ったロシアを警戒して、冷戦終結後中断していた徴兵制を今年(2018年)から復活させたり、NATOとの関係を深めたりしていることも報告しました。すなわちスウェーデンは、強大でしかも国際法を無視するロシアに対抗するため、自国の戦力を再整備するだけではなく、一国ではもはや安全を確保できないとして、中立国政策と事実上矛盾する、西欧民主主義諸国家との軍事的準同盟関係を選択したようなのです。つい先日、2018年10月26日づけの読売新聞に掲載された「NATOが軍事演習 冷戦終結後最大規模」という記事には、25日に行われたNATOの軍事演習に、パートナー国であるフィンランドとスウェーデンが参加したと報じられていました。
日本がスウェーデン同様に平和国家であろうとするなら、スウェーデン同様に軍事的な環境整備に努めるべきだと私には思えます。何故なら日本は、いまだ平和条約を結べていないロシアばかりでなく、国際司法裁判所の判決を紙切れにすぎないと強弁して、南シナ海の岩礁を埋め立て軍事拠点化した中国まで隣国としているからです。両国とはそれぞれに北方領土、尖閣諸島という領土問題まで抱えています。さらに付け加えますと、近接する朝鮮半島には、核武装した独裁国家北朝鮮と、日韓基本条約や慰安婦問題日韓合意などの公式な取り決めを軽視して反日姿勢を取り続ける韓国が存在しています。特に地理的に最も近く、人の行き来も頻繁な民主主義国韓国のふるまいは、果たしてこの世の現象なのだろうかと疑いたくなるほどの驚きを私に与え続け、予想外のことが起こる可能性を強く感じさせます。つい先日(2018年10月30日)にも、これまで日本政府も韓国政府も認めていた日韓基本条約の精神を完全に無視する、徴用工訴訟での賠償確定という判決を、韓国最高裁が出しました。
このような状況では、国そのものの存続を確実にするために、日本は必要な軍事力を整備し、民主主義的な価値観を同じくする国々と軍事的に連帯せざるを得ないのではないでしょうか。もし国連の集団安全保障が厳密に機能するなら、現憲法がおそらく目指している非武装中立さえ可能だと思うのですが、常任理事国であるロシアと中国が国際法を無視するようでは、それは全くの幻想だと思えてきます。実際憲法に書かれていることとは裏腹に、現実の日本は、通常戦力としては世界の五指に入るほど強力な自衛隊を持つようになり、またアメリカという超大国との属国的同盟関係を継続し続けています。最近ではイギリスやオーストラリアとも準同盟とも言えそうな関係を持ちつつあります。すなわち、戦力の保有と交戦の主体となることを禁じ、したがって軍事的同盟関係を持つことも当然その精神に反することになる現憲法と完全に矛盾してでも、とりあえず打てる手は打ってある、あるいは第2次大戦の敗戦国であったことで打たされているのが現実の日本だと思います。
しかし常識的に考えれば、憲法の内容と現実の国の在り方が180度もその方向性を違えているのは訂正すべきです。そこで、自衛隊を軍隊と認めるように憲法を変え、現実の日本の在り方も(特に日米同盟を)変えていってほしいと私は思うのです。

日本国憲法第九条と国際法

 自衛隊を軍隊と認めるように憲法を変える際、特に問題となるのは次の第9条です(以下、日本国憲法の条文は国会図書館のホームページから引用しました)。

(日本国憲法)
第9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

前書きでも触れました伊勢崎賢治氏は、ネット上のサイト「SYNODOS」の2017年10月20日付のインタビュー記事で、9条の2項を削除して、「日本は自衛権を国連憲章51条に規定された、国際法上規定された国際的な個別的自衛権を行使する」と書き換える改正案を提示しています。自衛権を個別的なものだけに限定するこの考えに賛同するかどうかは別としても、仮に、自衛隊を軍隊と認め、戦力保持を否定するこの第九条2項を削除するなら、国連の一員でもある日本の自衛隊はとりあえず国際法で定められた在り方をする軍隊になるはずです。そして許される軍隊の在り方や許される交戦主体へのなり方を決める国際法が、伊勢崎氏が言及している次の「国連憲章第51条」(開戦法規とも呼ばれています)です(以下、国連憲章の引用は、「国際連合広報センター」のホームページからです)。

(国連憲章)
第51条(開戦法規)
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

もともと国連憲章第1章第2条第4項には、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる方法によるものも慎まなければならない」と述べられているのですが、例外的に攻撃された時のみ個別的あるいは集団的自衛権を行使し、交戦の主体になることができると51条で定められているのです。このことから、国連に加盟する各国が持てる軍隊は自衛のための軍隊でしかありません。
伊勢崎氏の先に触れたインタビュー記事によれば、自衛隊は海外ではSDF(The Self-Defense Forces)と呼ばれていて、forceの意味は軍隊に他なりませんから、国際的には国際法で容認されている自衛のための軍隊を持っていると日本は見られているのです。私は日本が置かれている状況から自衛のための戦力を持つのは当然だと思いますから、自衛隊を海外で見られている通りの軍隊として明確に認めるように憲法を改正してほしいと思います。例えば、2項は削除して、代わりに国連憲章第2条4項の内容や51条で定められる個別的および集団的自衛権の行使を行う自衛隊を持つという内容を含む条文に変えてはどうかと思います。
ところで、もともと国連には集団安全保障という、加盟国が交戦に参加する可能性を認める仕組みがありますが、それと個別的自衛権あるいは集団的自衛権との関係はどのようになっているのでしょうか。

集団安全保障、個別的自衛権、集団的自衛権

 ネット上の記事、「海国防衛ジャーナル 細かすぎて伝わらない?集団安全保障と集団防衛と集団的自衛権 2014年07月06日」を参考にしますと、次のように集団安全保障は説明できるかと思います。
先ほども引用しましたが、国連憲章第2条第4項には「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる方法によるものも慎まなければならない」とあります。しかし、もし国連憲章第7章タイトルにあるように、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」が発生した場合、「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし」(第39条)、「又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができ」(第40条)ます。そしてもし暫定措置が不調であれば、安全保障理事会は、「兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができ」(第41条)るとあります。そしてこの措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、……その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができるとあります。もしこの措置も不調であれば、「安全保障理事会は、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができ」(第43条)、そしてこの行動は、「国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動」を含むことができるとあります。これが集団安全保障の大まかな仕組みです。簡単にまとめますと、

「平和の脅威、破壊、侵略行為の発生」→「安全保障理事会による勧告」→「暫定措置」→「兵力を伴わない措置」→「兵力を伴う措置」

というように解決するまで順々に進行していくものです。
しかしこの仕組みは、国連加盟国との様々な調整を必要とし、その有効性について疑問符がつけられており、前述の「海国防衛ジャーナル」の記事には次のように書かれています。

集団安全保障の有効性についても、現在までに十分な満足を得られていないのが実情です。安保理事会は常任理事国の全会一致を前提としますが、五大国(米、ロ、英、仏、中)の対立が発足以来一度も解消されていません。国連が発動した唯一の集団安全保障措置は、ソ連の安保理欠席によって可能となった朝鮮戦争に対してのみ。その際も軍事行動に参加したのは一部の国にとどまっています。

どうやら集団安全保障がほぼ機能しない事実があるようです。おそらくこのような結果になることが、あるいは仮に機能したとしても時間がかかることが予想されていたから、国連憲章51条で集団的自衛権と個別的自衛権による武力行使が国連加盟国に認められているのかもしれません。
個別的自衛権とは、攻撃された際に、自衛のため単独で交戦の主体になる権利です。また、集団的自衛権の行使に関しては、前述の「海国防衛ジャーナル」の記事によれば、「被攻撃国による攻撃事実の宣言及び他国に対する援助要請が必要(国際司法裁判所、1986年のニカラグア事件判決)」ですし、また他国は、「集団的自衛権を有し、行使可能な状態であっても、被攻撃国からの援助要請もないのに必ず出かけなければならない義務もないですし、出かける権利も発生しません」し、「行使するか否かを独自の判断によって」行うとあります。
実は集団的自衛権の行使を義務化する集団防衛というものもあります。前述の「海国防衛ジャーナル」の記事によれば、「集団防衛とは、集団外の特定の仮想敵国に向けられた外向きの協力体制」であり、「NATO、WTO、SEATO、日米同盟、米韓同盟など」が該当します(NATOは皆さんご存知の北大西洋条約機構ですが、WTOとSEATOは、今はなきワルシャワ条約機構と東南アジア条約機構です)。そして法的には「集団的自衛権(と個別的自衛権)によって規定され」ます。すなわち、集団的自衛権では、その権利の行使はあくまで権利でしかないのですが、集団防衛では、集団的自衛権の行使を同盟国間で義務化に高めていたりするのです。
前述の「SYNODOS」のインタビューで伊勢崎賢治氏は、集団的自衛権と個別的自衛権を比較して次のように述べています。

自衛権には、個別的自衛権と集団的自衛権の2種類があります。アメリカの戦争に巻き込まれることを懸念して、日本では集団的自衛権の方に問題があるようなイメージが抱かれていますが、実は、より危険なのは個別的自衛権の方です。何故なら、武力行使の決断を、一人でとってしまうから。集団的自衛権であれば、仲間がいますよね。自分が攻撃されても、仲間が攻撃されていなければ、その仲間が報復攻撃を「思いとどまらせる」可能性もあるのです。
これを徹底しているのが戦後のドイツです。ドイツは戦前戦中の反省で、自らの判断で行う個別的自衛権を集団的自衛権で完全に封じました。NATOや国連による判断以外の武力の行使を一切しないとしたのです。
今起きている戦争と言われる武力衝突は、全て自衛戦争。しかも個別的自衛権が発端になっているものがほとんどです。9.11後のテロとの戦いは、アメリカの個別的自衛権でした。フランスも、パリでの襲撃事件の報復、つまり自衛として、シリアに空爆を行っています。

このドイツの事例は非常に示唆に富むものだと思います。私は、日本もドイツのように個別的自衛権を事実上封じる同盟を組むことも選択肢の一つになるかもしれないと思います。今日本はアメリカと二国間の同盟を組んでいますが、善意を期待できるいくつかの民主主義国との多国間同盟へシフトしていくことが将来の選択肢として考えられるかもしれません。
以前著名な言語学者ノーム・チョムスキーが自国アメリカのことを「世界最大のテロ国家」として大々的に非難しているDVD(「チョムスキー 9.11 Power and Terror」、ジャン・ユンカーマン監督、日本ヘラルド映画株式会社、2002)を視聴しましたが、それによると、ロシア、中国以上にアメリカは国際法を踏みにじった前科があるようです。そういうアメリカが民間人に被害を及ぼすような暴走をさせないために、節度ある民主主義諸国家とアメリカの同盟が訳に立つかもしれないとも思えたりします。
また、軍隊を法的に持つことになれば、国際法で定められている軍事法廷を持たなければならないようです。伊勢崎氏は次のように「SYNODOS」の記事で述べています。

76条が特別法廷を持つことを禁止しているので、軍事法廷が持てないんです。重要なのはここです。ここが解消されなければ国際法的には問題を抱えたままになります。完全に矛盾をなくすためには、9条2項と同時にこの76条にも手が加えられなければならない。ぼくは研究者だから、この矛盾が100%解消される方法を提案しています。それには、9条2項を完全削除し軍事裁判所設置のために76条改定が考えられます。

憲法76条の条文は次のようになっています。

第76条
1 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

2項で禁じられている特別裁判所を設置できるように条文を変えなければならないのです。
結局伊勢崎氏の改正案は、憲法9条第2項を削除して軍隊である自衛隊を合憲的に保持できるようにし、軍事法廷を持てるように76条に手を加えます。また国の自衛権を国連憲章51条に規定された国際的な個別的自衛権のみとし、日本の国内に限って行使できるようにするものです。基本的に私は伊勢崎氏の考えに賛同しますが、一方で自衛権を個別的自衛権に限定しないことも選択肢に挙げられる気もしてどちらがいいかはっきりしません。
伊勢崎氏自身がドイツの事例を挙げながら述べているように、個別的自衛権の方が集団的自衛権より危険だという考え方もあります。確かに他国の戦争に巻き込まれることはなるべく避けるべきだと思いますが、日本はこの国際社会のつながりの中でしか存在できないわけで、いかなるかかわりも完全に避け続けることはできないでしょう。そうでしたら、今スウェーデンがその方向に決断し始めているように、ほぼ同じような価値観を持つ国々と、民主主義の支配する世界を創造するために軍事的にも最低限の協力はした方がよいと思ったりするのです。例えばAP通信9月29日(土)づけの “France calls for new global coalition of ‘goodwill powers’”(「フランスは『善意の国々』の同盟を求める」)という記事には次のような部分があり、示唆的だと思いました(拙訳)。

フランスのリーダーたちは、金曜日に新しい「善意の国々」の同盟を提唱した。それは、アメリカ、ロシアその他の、協同より単独主義を好む国々によって危険にさらされているグローバルな外交を再生する試みである。
フランスの外務大臣ジャン-イヴ・ルドリアンは、ハーバード大学でのスピーチの中で、ヨーロッパはインド、オーストラリア、メキシコ、その他の多国間相互主義を共有する「強力な民主主義諸国」と同盟すべきだと提案しつつそのプランを述べた。

ルドリアンは、グローバルな協同にコミットしている同盟国の候補として、インド、オーストラリア、日本、カナダ、そしてメキシコを列挙した。

これば自国第一主義ではない善意の国々の同盟を創設し、それを拡げていこうという提案です。列挙された国々には虫のいい、夢のような提案ですが、国連の有様を考えると、追求すべき案の一つではないかと思います。そしてどのような国々とどのような同盟を組むかを、未来の賢明な日本人が自利利他的に自律的に決めることができるように、個別的自衛権あるいは集団的自衛権のいずれかだけにあらかじめ規制しないように憲法を改正する手もあると思います。

3.まとめ

ながながと書いてきましたが、憲法改正に対する私の考えは結局次のようにまとまります。

・前文には、目標とする国家像を「緑の福祉国家」とすることと、それが日本の原点である十七条憲法で描かれた理想像に一致することを織り込む。
・9条2項は、国連憲章51条で規定されるような軍隊(自衛隊)を持つと書き直す。
・76条は、軍事法廷を持てるように書き直す。

以上

引用・言及した書籍、DVD、サングラハ誌の記事、新聞の記事、ネット上での記事

・『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』、小澤徳太郎、朝日新聞社2006
・『日本再生の指針』、岡野守也、太陽出版、2011
・「チョムスキー 9.11 Power and Terror」、ジャン・ユンカーマン監督、日本ヘラルド映画株式会社、2002、DVD
・「近代、アメリカ、日本 三つの未完のプロジェクト」、増田満、ホームページ「ウィルバー思想の考察 MMエッセイズ2」掲載
・「中立国スイスとスウェーデンを参考に将来の民主主義国の在り方を考える」、増田満、ホームページ「ウィルバー思想の考察 MMエッセイズ2」に掲載
・「NATOが軍事演習 冷戦終結後最大規模」ブリュッセル=横堀裕也 2018年10月26日 読売新聞の記事
・「十七条憲法」(世界大百科事典 第2版 平凡社)、インターネットサイト「コトバンク」より
・「日本国憲法」、国会図書館のホームページ、「電子展示会 日本国憲法の誕生」より
・「国際人道法に則する憲法を 伊勢崎賢治氏インタビュー」、インターネットサイト「SYNODOS」の2017年10月20日の記事
・「国連憲章」、国際連合広報センターのホームページより
・「細かすぎて伝わらない?集団安全保障と集団防衛と集団的自衛権」、インターネットサイト「海国防衛ジャーナル」の2014年07月06日の記事
・“France calls for new global coalition of ‘goodwill powers” (「フランスは善意の国々の同盟を求める」)、COLLIN BINKLEYによるAP通信9月29日(土)のネット掲載記事